父は北国には珍しい猛暑日が続いた年の夏から
急に意欲が低下して、坂道を転げるように弱って行った。
今にして思うと、父が世話人の一人としてこれだけ長い年月取り組んできた専門医先生たちとの会をやめた時と一致する。
そして、いただいた御香典を整理していた時
この会の世話人の先生方からは
弔電含めリアクションゼロだとわかった。
悪人でもなんでもあれだけの時間をかけて
一緒に会を築き上げてきたのだから、
亡くなれば、弔電くらいは…
と思うのは私が図々しいだけなのか?
これは…
ただ高齢になったから辞めたというレベルではなく、相当トラブって、全会一致で父を辞めさせることに決まったレベルだったのだのではないか?
父は昔から父が意図して発した言葉を
私にとっては違う意味で受け取ることがよくあった。
つまり意味が通じない。
なので、しばしば家では言い争いになることがあった。
「その言い方だと誤解されるし、嫌われるよ」
と私がいうと、
「どう思われてもいい‼️」
とよく父に言い返されていた。
どう思われてもいいわけはないこともある。
何があったかはわからない。
しかしこの会で父はこてんぱんにされたのだろう。
メンタルでいえば
例えるなら、学校でいじめに遭って自殺してしまうレベル。
辻褄が合う。
お酒の量が増える。
食事を摂らなくなる。
自分が死ねばみんな喜ぶ発言。
私が何かを聞くと
「答えない‼️」と激怒すること。
入院中や通院では
「毒を処方された」
「自分はモルモットじゃない」
「私が医者だとわかっているのか」
と治療を拒否し続けたこと。
老年期うつではなく、
その勉強会だけでの話なのに、勉強会から噂が広まって、みんな自分を否定していると思い込むような被害妄想だったのだ。
私は医師ではないが、薬剤師で医療系の人間だ。
コミレイは噂が流れてきていて知っているのではないか?
誰かと繋がり自分の悪口を一緒に話しているのではないか?という疑いをかけていた。
だから私には恥ずかしいところは絶対に見せられない。
介護は母にだけさせたのも頷ける。
お葬式に流して欲しいと言われた
アヴェ・ヴェルム・コルプス
この曲は、イエスキリストが十字架にかけられたことが歌詞となっている讃美歌だ。
父は父なりに頑張ってきたが、最後裏切られて殉職したと思ったのかもしれない。
だから、お葬式にこの曲を流して、
会の先生たちに訴えようと思ったのかもしれない。
残念ながら、お父さん
その時はそこまでのことは思い至らなかったし、思い至ったとしても、会の先生たちは誰も来なかったよ
本日もお読みくださり、
ありがとうございました😊