わたしはかつて、神田うのというバラエティタレントが大嫌いでした。
彼女を見るたびに「好き勝手やってお金もらえるってどうなの!?」と思ってイライラしていました。(今思えば僻み以外の何物でもないわけですが…)
でも、ありのまま認めるEFTをやり始めて、一番変化があったと実感するのは、彼女への嫌悪感がなくなり、彼女を潔くて清々しいとすら思うようになったことでした。
とは言っても、彼女のことを好きなわけではなく、彼女の言っていることが、理解できる、もしくは、受け入れられるようになったという感じでしょうか。
日本で彼女のような人が嫌われるのは、ありのままの自分を受け入れて自分にふさわしい人生を歩んでいく術を知らない人が多いからじゃないかと思います。
今ならわかる、大衆の嫌悪の裏に潜む、「なんで彼女はああいう生き方が許されて自分は許されないのか」という疑問と嫉妬と羨望。
彼女にとっては、人から好かれても嫌われても関係なくて、「うのはうのなの」とありのままの自分を愛していているからこそ、自分にふさわしい人生というものがわかっていて、それを手に入れるのが当然だと思って行動しているから、ああいう生き方ができるんだと思います。
少し似た人で最近高級ブランドのバッグをマザーズバッグとして購入した長谷川理恵。
彼女のこともわたしは元々好きじゃなく、前付き合っていた人と別れたと同時に別の男性の子供を身篭ったニュースを見て、正直わたしは「なんて、股がゆるい女なんだw」と嫌悪感を抱きましたし、プロポーズのときもらった指輪にケチをつけたというニュースを聞いた時も、「ふざけんなっ( ╬◣ 益◢)y━・~」と思っていました。
出産を目の前にした彼女が購入したものが、所謂「常識的な」マザーズバッグじゃなかったからか、ブログで「機能性よりオシャレ重視って、この人、子育て、大丈夫なの?」なんてコメントがついたようですが、「機能性よりオシャレ重視である」ことと「子育て大丈夫なのか」ということは、くっつけるにはおかしい文章です。
逆に、機能性のあるバッグを購入していたら子育ては完璧にできるのでしょうか?
そんな訳はありません。
彼女からしたら、「使いたかったから買っただけ。機能性が良かろうが悪かろうがわたしが使うんであってあなた達が使うわけじゃないから勝手でしょ」と言いたいのではないでしょうか。
抑圧されて生きている日本人は自分が抑圧されているからほかの人にも同じことを求めるわけですが、少しそこから出ようとしたり、とっくの昔に出てしまっている人を見るとすぐに、叩き始めます。
きっと彼女達は、自分を叩く人達を見ながら、「人を叩くネタを探す暇があったら、あなた達も自分自身を抑圧することなく、あなたの生きたいように生きればいいじゃない」と思っているに違いないと思うのでした。
別に彼女達の生き方が万人にベストだと言うつもりはないし、その人にとってのありのままの自分で幸せになれればいいのですが、彼女達はあまりにも日本人のスタンダードから飛び抜けているので、わかり易い姿かなとは思ってます。