なんとなく、昔から感じていたこと。


それが「自分の人生に対して当事者意識が少ないんじゃないか」ということ。


昔から感じてはいたけど、なんでかわからなかったのです。


でも、ありのまま認めるEFTを始めて、その中で「他人ハンドル」という言葉に出会い、如何に自分他人の価値観、他人の基準、他人の目線で生きてきたのかに気づいたのですが、その中で、自分のことを他人目線で見てたから、当事者意識がなかったのか、と突然腑に落ちました。


他人基準で他人から見て恥ずかしくない生き方してたら、それなりに人様のような幸せが手に入ると無意識の中で思い込んでいたように思います。


実際はそんなわけはないし、まあ、結果は、このブログで書いてるとおりなんですけど…。


自分に素直に生きればいいと言われても、自分に素直=他人ハンドルじゃない生き方なんだけど、他人ハンドルじゃない生き方≠他人に背を向ける生き方ではないとわかってはいるけど、なんだか後者の生き方になってしまっているんじゃないかと、最近ちょっと不安に思ったりもしています。


ようやく自分の人生を当事者意識を持って生きていくという状態になったのですが、わたしはまだまだ、真っ暗なトンネルから抜け出せない状態って事なんですね。


無理にあがいてもあがかなくても抜けられる時は抜けられるし、抜けられない時は抜けられないし、でも、最近の日記みたいにタイミングを逃してる気がしないでもないし、毎日毎日不安になるし焦りを感じてしまいます。


こんな人は多いんだろうな…と思いつつ、よく巷で言う「ひとりじゃない!」なんて能天気なセリフで納得もできません(笑)


出口の見えないトンネルってほんと不安です。


2年前、職を無くし心身共にどん底で毎日死ぬことばかり考えてた時のことですが、とある有名なお寺にふらっと行きました。


そのお寺のすぐ近くにお堂があって、そこに胎内めぐりというものがありました。


わたしは、どんなものか知らずに、出てくる人の恐怖の声(?)に興味津々になってしまって、ひとりで入りました。


そしたら、今まで経験したことがないくらい真っ暗で何も見えず、手すりになっている大きな数珠から絶対に手を離さないように進んで行きました。


平日の昼間で観光客も少なく、胎内巡りにいるのがわたし一人なのかと思うくらい静かで不安でした。


とりあえず、数珠につかまってそれに沿って足を進めていくのですが、そんなに広いわけがないのに、一歩一歩足を進めるのが怖く、腰がひけてどんどん曲がっていって、終わりが見えません(笑)


こわごわ進んでいくと、突然曲がり角があり、そこを曲がると天井から一筋の光が指して、台にのった石を照らしていました。


その時の安堵感、今でも忘れません。


時間にして2、3分という短い物なんですが(短すぎっ)、終わりがわからないといつ外に出られるのだろうと不安になります。


なので、その終わりというかここでは外の明かりになるのですが、それを目にすると安堵を感じました。


気分が落ち込んで、「行き場がない」「わたしの人生真っ暗だ」と思うたびに、この胎内巡りを思い出します。


胎内巡りは絶対に終わりがあるものとしてあるもので、人生にその保証はないのですが、自分で行動を起こしていけば、何かしらの光は見つかると思うし、あの安堵感を自分の人生でいつか感じたいと思うのでした。


でも、人生は突然安堵感を感じるというよりは、気づけば外に出ていたという感じの安堵感かもしれないな~。


はぁ、早くそうなりたい。