昨日の日記にも書いた件でEFTをしている中で、わたしにはとっても複雑な思考回路が存在していると明確に認識できました。


Aという問題があってBという方程式で計算すればCという答えが出るだけなのに、わたしはBという方程式ではなく、DやらEやらいろんな方程式を持ち出して、Z(人にとっては斜め上)という答えを出してる感じでしょうか…。


こういう説明ももしかしたら複雑でしょうか?


でも、わたし学生の頃数学を解く時もまさしく同じことをしていたのです。


学生時代は成績はそこそこ良い方だったのですが、クラスのみんなが答えられるサービス問題を複雑に考えすぎて、間違うということがあったのです(笑)



友達からも「ええ~、これは分かりやすすぎるくらいの問題だよ」とビックリされたのですが、その時は、なんでそんなことが起こるのか自分でもわかりませんでした。


それがそのまま実生活でも同じ思考回路になっているのです。


いや、こういう思考回路だからこういう数学の解き方になってしまうのかもしれませんね。


何か問題が起こったり選択をしないといけない状況になった時、自分の中の引き出しをぜ~んぶひっくり返して「わたしがこういう選択したら、この人はこういうかもしれない」「わたしがこう言えばあの人はこう返してくるだろう」といろいろと人のことばかり考えて他人ハンドルでことにあたろうとするけど、ことは更にややこしくなるのです。


数学を解く時は、決まった方程式がありますが、実生活で何か選択をしないと行けなくなった時、使うべきなのは「自分が心地よい思いができることを選択する」これ一択なので、数学みたいに記憶力を使わなくてもいい分、よりわかりやすいのかもしれません。


自分が不幸になる選択をしても自分自身の欲求を叶えられなかったことで自分が不愉快なだけで、誰も同情しませんし(誰もこちらのことを考えてくれないと自分で勝手に被害者意識を持ってしまって一人で怒りの感情を持ってることが多い…)、むしろ他人からは「なんでそんなことをしてしまったの?」と不思議がられるだけで、自分自身が心地よい思いをしません。


昨日日記に書いた件で、EFTをしていたら、「もう二度とこういう自分が不愉快になる選択はしたくない」という感情がでてきました。


そういう選択をしないと決めた自分をありのまま認めるEFTを最後にして終わって、心が少し軽くなったのでした。


いままで無意識に自動操縦でやってきた不幸になる選択を、そのパターンにはまりかけた時に「ああ、これはいつものパターンだ」と気づくことで意識的に変えていけば、自分はこれからは不幸にならないんだと思えたからだと思います。


ありのまま認めるEFTって面白いと改めて思いました。