最近はまっている煮玉子の価値を考える
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■最近、コンビニで売っている「煮卵」にはまっています。
おでんの玉子のような、殻をむたい、玉子が2個
タレの中に浸った状態でパックされた商品です。
2つで150円そこそこ、糖質カットの生活をしている
僕にとって、当分控えめで、美味しさを味わえる
なかなかありがたい惣菜です。
■今日も、昼ご飯に買ってきました。
ひとつ、食べ終えて、「うまい!」、もう一丁と
意気込んでハシでつかんだその時です。
なんと、つるっと滑って、ハシの先から卵が床に転げ落ちて
しまったのです。
思わず、一人で「うわッ!」と叫んでしまい、
すごく悲しい気持ちになりました。
食糧難の時代ではあるまいし、飢えるわけではありません。
75円の損が懐に響くほど貧乏ではありません。
(もちろん75円を無駄にしていいということではありませんが)
では、なぜそれほどまでに無念さがこみ上げてきたのでしょうか。
それは、たぶん、今、まさに、出汁の染み込んだ、あの煮卵の
味を楽しめるという期待価値が、一瞬にして消え失せたからだと思います。
■考えてみれば、コンビニの秋冬のヒット商品
「おでん」の具の人着ランキングで「玉子」はいつも上位に顔を出します。
「おでん」の玉子にしろ、今日、転がして食べ損じた「煮玉子」にしろ、
卵そのものの美味しさという価値だけでなく、
・味をしみ込ませるために、「時間がかかる」という価値
・ゆで卵の殻を、むかなくていよいという、
「面倒くささが削減されている」という価値
すなわち、「ダブルの付加価値」があるように思います。
だから人気ランキング上位にあるのでしょうか?
たかが、煮卵を床に転がしたということから、付加価値について
色々と考えてしまう、夏の夜でした。