勉強は「手段」である。 | エフォートアカデミー塾長日記

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静岡県三島市の学習塾「エフォートアカデミー」のブログです。
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勉強に多くの時間を費やした割に「成果が出ない」子の多くは、ちょっとピントがずれたというか、「手段」と「目的」を取り違えているケースが目立ちます。

 

例えば「ノート」について、とても色鮮やかに、きれいなノートを取る子がいます。それは芸術的観点から見れば素晴らしい「作品」であるのかもしれませんが、ノートを取ることはあくまで授業内容を理解するための「手段」であり、美しいノートを作ること自体が「目的」ではないのです。極論を言えば、ノートなど取らなくたって、理解できた利、覚えられたりすれば「目的」は達成できているのです。いつのまにか「手段」が「目的化」してしまい、「勉強しているフリ」を無意識にしてしまっているからこそ、時間ばかりを浪費して、さしたる成果が挙げられないという悲しい結果に行きついてしまうのです。

 

本能的に「脳ミソを使う」ことを避ける傾向が強い人が散見されますが、そのような人は「考える」よりも単純な「作業」に逃げやすい傾向があります。目的化してしまったノート作りなどはその最たる例ですが、他にも「既にできる(理解している)問題」ばかり必死に解いて、ひたすら自己満足に浸っている人も少なくないのです。

既に「できる」問題を何回も解いて、その都度自己満足に浸るのは爽快な気分になるのかもしれませんが(笑)、そのような場合、多くの時間は「無駄」となります。「〇」をもらうことだけが学習の目的ではありません。今までできなかったことができるようになったり、知らなかったことを覚えることこそが「勉強」なのです。難しい問題に取り組んだり、ひたすら記憶することに専念するのは、誰にとっても少なからず苦痛を伴うことではありますが、そのような過程を経ない限り、真の意味での「学力向上」は成し得ないのだと、私は考えているのです。

 

一方で、勉強自体でさえ人生における「手段」だと言えるのかもしれません。世の中に出れば、おそらく「解の公式」を使用する機会はほとんどないと思われます(笑)。それでも一見無意味にも思える「受験勉強」が、少なくとも自分自身の「可能性」を拡げるための、ひとつの重要なツールには成り得るのではないでしょうか?そう考えれば、勉強のみならず、生きていくことすべてにおいて、「手段」と「目的」をはっきりと峻別し、混同しないように心がけることが大切なのだと思います。

「手の運動」に成り下がってしまっている「勉強もどき」から脱却し、真の意味での「目的達成」のために今、何をすべきか、よく考えてみましょう。それはきっと「美しいノート」を作ることだけではないはずなのです。

 

頑張りましょう!