正月になると、どうしても恩師のことを思い出してしまいます。恩師が存命時は、正月になると必ず「年始の挨拶」にお邪魔し、楽しいひと時を過ごしたものでした。そういう意味では、ここ数年は実に寂しい正月を過ごしているのです。
私にとって「人生の師」ともいえるのは、高校時代の野球部での恩師こそが唯一無二の存在でした。サヨナラヒットを打ってベンチに帰ってきたら、
「調子に乗るな!」
と金属バットで殴られたり、今の世では「事件」になりそうな理不尽な仕打ちを何度も受けたものですが(笑)、そんなことにさえ「意味」があったことを、大人になって実感しています。
野球以上に「学生としての態度」や「学業」に厳しかった恩師は、「英語の教師」だったにもかかわらず、私たちに朝から「漢文」の学習を強いていました。日々の練習や勉強の影響で、ただでさえ疲れ切って、尋常ではない睡魔に襲われていた私たちにとって、朝一番の「漢文」の学習は、実のところ「我慢大会」以外の何物でもありませんでした(笑)。
そんな中でも、私にとって忘れられない言葉がありました。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
この言葉の由来は、中国の歴史書「史記」の「蘇奏列伝」だそうですが、現在ではビジネスの世界などでよく用いられるようです。
大きな会社の「歯車」として働くよりも、たとえ小さな集団であっても、その中で頭角を現すべく奮闘すべきであるという考え方です。「鶏口牛後」という言葉をご存知の方も多いと思いますので、私の拙い説明は不要でしょうね(笑)。
今私が小さな学習塾を経営しているのは、この恩師の言葉が私の心の中の根底にしっかりと残っているからに他なりません。安定・安心を求める心理は無理からぬことですが、長引く不景気に加え、「不確定な世の中」が延々と続く昨今において、真の「安定・安心」とはいったい何なのか、私たちはもう一度考え直す必要があるのかもしれません。目まぐるしく価値観が変遷していく現代においては、「全てお任せの大きな船」に乗るよりも、「船頭さんとなって、小さな船を自ら誘導していく」人生の方が、もしかしたら充実した人生となるのかもしれません。「貧乏人の僻み」だと笑われるのかもしれませんが(笑)、人間の価値観などまさに「千差万別」であり、いつの世にも「経済的なもの」に価値を見出せない「変人」が、一定数はいるものなのです(笑)。
「教員としての出世」などハナから諦めて、教え子のために奔走する人生を全うした恩師は、まさに「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉を体現された、私にとって唯一無二の「尊敬すべき恩師」なのです。恩師が亡くなって早十年余、私の生涯をかけて一歩でも二歩でも恩師に近づきたい、と決意を新たにした火曜日の朝なのでした。
私自身もまだまだ「修行の身」なのです(笑)。
頑張りましょう!

