私は大学院を出てからしばらくの間、医療機関にて勤務した経験があります。当然「事務職」での勤務だったのですが、それでも「必ず毎日人が亡くなる」職場で働くことは、否応なしに「死生観」について深く考えさせられることになります。あくまで私見ではありますが、「死」に直面する職場で働き続けるということは、人間が生まれてから亡くなるまでの過程において、どのような健康上の困難が生じようともサポートし続けるという気高い確固とした信念がある人か、あるいは「死」という現実にある意味で「麻痺」してしまっている人のどちらかだと考えます。いずれにしても、「普通の神経」では耐えられないタフな仕事であり、私の場合はそのどちらでもなかったのだと思います。
大きな病院には「ホスピス病棟」が設置されているケースが多いです。病気の治癒に向けた積極的な治療とは一線を画し、「命の期限」を宣告された患者さんたちが、「最期の日」を穏やかに迎えられることを主眼に置いた病棟です。勤務されている医療関係者の皆様のご苦労は察して余りあるのですが、そんな「緩和ケア医」である関本剛さんという方の存在を先日初めて知りました。
1000人以上の患者を看取った緩和ケア医である関本医師が、自らが癌に侵され、45歳の若さにしてこの世を去りました。上掲の動画は、自らが亡くなった後の葬儀での挨拶を存命中に撮影された映像です。
医師という立場上、自らの「健康状態」や「命の期限」は誰よりもよく理解されていたはずで、にもかかわらず穏やかな口調でしっかりと挨拶されていたこと自体が私には考えられないことなのです。病に侵されながらも、最後の最後まで患者さんに寄り添ったその「生き様」は、まさに人智を超えた「悟り」を会得されたかのようにさえ見えるのです。
もしもたった今、私に「お迎え」が来たのなら、
「いやいや、まだくたばりたくはない!」
と、これでもか!というくらいにジタバタするに違いありません(笑)。きっとお恥ずかしい姿をお見せすることになると思いますが、それでも「それでいい」と私は思います。「人間らしさ」というのは、そんな「人間の醜さや浅ましさ」もすべてひっくるめたものではないかと私は思うのです。
あくまで「他人に大きな迷惑を掛けない」ということが大前提ではありますが、学生の諸君には専ら自らの「夢」に向かって、精一杯「ジタバタ」してほしいと心から願います。「醜い」「浅ましい」「エゴイスト」と言われようとも、諦めずに信じた道を邁進して頂きたいと思うのです。誰にとっても「明日」という日がどんな一日になるのかはわかりません。ならば、日々自分なりに「精一杯生きる」ことだけが、「人間らしさ」なのではないかと思うのです。
人間の価値は決して「命の長短」で決まるものではなく、「命の濃淡」で決まるものだということを、私は信じて疑わないのです。私自身、漫然とした日々を送ってしまうことも多々あり、ただただ反省するばかりですが、折に触れて「命」や「死生観」について考えてみることが、「人間らしさ」に繋がっているのだと感じています。
頑張りましょう!