私はすーっごく頭でっかちな男でした。

理系特有の頭の構造なのでしょうか、何でも論理的に考えるくせがついていたんです。

これはこうだ。なぜならばこうだからだ。その根拠はこうで、だからこうなんだ。とかね。


Logic…



まぁ仕事をする上ではとても必要な事だと思うんですが、その思考を生活全部に当てはめていたのが問題だったんですよね。


つまり、自分の幸せも論理で考えていたということ。

家を買ったから幸せで、まだ買ってないから幸せじゃないだとか、

出世したから幸せで、そうじゃないから幸せじゃないとか、

車とかブランド品を持ってるから幸せで、もってないから幸せじゃないとか、

結婚したから幸せで、してないから幸せじゃないだとか、

そういった「幸せ」に理由とか根拠を求めていたんですね。

言わば頭で幸せを「考えて」いた。



でも、幸せって本当はそういうものじゃないじゃないですか。

すごくありふれた表現になるけれど、幸せって「感じる」ものですよね。

要は頭で考えてはダメという事。

胸が熱くなったり、目頭が熱くなったり、興奮したり、そういった身体に出てくる具体的な症状を「味わう」ことだと思うんです。

でもそういう症状って、幸せを頭で判断しようとしている内は身体に出てきません。

だからいつまでたーっても幸せを「感じる」事が出来ない。

だってその症状が出てこないんだから。




仕事に慣れすぎてしまった我々現代人は、どうしても心より頭が先行されてしまいます。

でも、幸せを感じるためには、主導権を頭から心に移さなくてはならない。

そうすることで、我々はもっと「心のセンサー」の感度を上げていく必要があるんです。

その感度がビンビンならばビンビンなほど、些細なことでも幸せを感じられるようになる。

大事な事は幸せを感じるための心のセンサーの感度を上げる事なんです。

特に男性こそ、どうしても論理で考えてしまいがちですから、心のセンサーの感度を上げていかなくてはなりません。


幸せの感度はビンビンですか?




「お前はいいな、単純で」

なーんて、自分はスペシャルな事が起きなければ幸せを感じられないと言うことをアピールする人はいるけれど、そんなの本当はちっともかっこよくない。

日常的に幸せを感じていて、それで心に余裕を生んで人に優しくできる方がよっぽどいい。

それにスペシャルな事でしか幸せを感じられないなんて、言わばスペシャルな事が起きるのを待ってるって事でしょ?つまり誰かに依存してるって事でしょう。そんなのちっともかっこよくない。

それよりも自分で自分の心の感度を上げて、自分で幸せをつかみにいく方がよっぽどかっこいい。



自分学ではまずは自己愛を高める事を第一に考えます。

そしてその目的こそ、心のセンサーの感度を自分で調節出来るようになること。

そうすることで今までと同じ事が起きたとしても、その出来事で小さな幸せを感じられるようになってくる。

それってつまり、今までとは違うものの見方と感じ方が出来てきているってことなんです。

そしてその繰り返しが、自分の夢の種となっていく。

夢を見つけるために自己愛を高めることはすごくすごく重要です。

あなたは自分の事が好きですか?健全な自己愛を持っていますか?(^▽^)


黒瀧@自分学ファシリテーター