日本人はですね、とかく自分自身の成長に関し、自己否定する傾向にあると思うのです。


自分自身の成長を認める事、それはすなわち「驕り」だとか「自惚れ」だとか、そういったマイナスイメージにどうしてもつなげてしまいがちではないでしょうか。


そんな空気があるからこそ、もうだいぶ昔になりますがマラソンの有森選手が「はじめて自分で自分の事を褒めたいと思います」という言葉が多くの共感を呼んだのでしょう。


自分で自分を認めたい、だけども認めたらそこで成長が止まってしまう…、自惚れていると思われたらどうしよう…、そんな風に思ってしまうのではないでしょうか。


かく言う私も、ご多分に漏れずその中の一人でした。


でもですね、今ではこう思うんです。



自分で自分の成長を認められるようにならない限り、いつまでたっても自立した大人とは言えないのではないだろうか。




だって、自分で自分の成長を認められないということは、いつまでたっても他人からの評価を求めてるということですよね。


そりゃ人から認められたり、褒められたりするとうれしいです。


しかしそれは同時に、人への精神的依存でもある訳です。



人に自分の評価を委ねている。


人に自分の価値を認めてもらいたい。


人に自分の成長を定義してもらい、かつそれに気付き言ってもらいたい。



全て人への依存の心が関与しています。


人から認められるとうれしい。それは否定できないけれど、それよりもまず自分で自分を認めてあげること。


その上で不意に人からの褒め言葉をもらうから、さらにうれしいんだと思うんですよね。


自惚れではなく、傲慢ではなく、健全に自分で自分の事を認める。褒める。そして愛する。


これが本当に本当に大事な事だと思っています。




しかし、この「自分で自分を認める事」や「自分で自分の事を褒める事」、そして「自分で自分の事を愛する事」が出来ない人がとても多いと感じます。


私もその一人だったからこそそういう人に敏感だったのでしょう。


類は友を呼ぶというか、ついついそういう人にシンパシーを感じてしまっていました。


しかし、自分自身を見つめ続け、自分という人間について真摯に学ぶ事によりずいぶん自分の事を健全に認め、愛する事が出来るようになってきました。


するとどうなるか。


仕事が楽しくなります。


人に関心を持てるようになってきます。


自分がどんな人間か分かるようになってきます。


そして何より、自分が人生において何がしたいのかが見えてくるようになります。



自分自身について深く知る事は、今後の人生の幸福を叶える上で本当に必要な事だと身をもって知る事ができました。


同時に私は、自分で編み出したこのメソッドを体系化する事に成功。


非常に実践的で効果的な自己分析、自己認識のスキルを公開していきたいと思っています。




私はこれを「自分学」と名付けました。


人はなぜ、人の言う事ばかりを学び、自分自身に関しては学ばないのか。


自分自身について学ばなければ、本当に自分が求めるものがわからず、故にそれを手にする事での幸せも感じる事も出来ません。


自己啓発の罠、それは結局、人の意見、人の言うことだと言うことです。


まずはしっかりと「自分」という人間を認識する事。


そのためには体系だった自己分析の手法が必要です。


マーケットから植え付けられ、それが知らぬ間に自分の幸せだと思い込んでいませんか?


自分の幸せが何なのか、自分自身について深く学ぶ「自分学」。


少しずつこのブログを通し、公開していきたいと思います。




黒瀧@自分学のススメ