フォトリーディングを受講した事をきっかけに、「脳」という臓器に興味を持つようになりました。
フォトリーディングは潜在意識を利用した読書法です。
これまで潜在意識と言うと少しオカルト的に考えていましたが、セミナーで潜在意識の存在を体感できるエクササイズを受け、すっかり見方が変わりました。
それ以来、潜在意識を始めとした脳の機能に興味を持つようになり、今では脳機能について知る事は最高の自己啓発の一つであると思っています。
タイムプレッシャー、ワーキングメモリ、エフィカシー、スコトーマ、自由否定、作話などなど。。
脳について色んな事実を知っていれば、物事の判断にまた一つ奥行きが出ると思います。
ただ単に「スケジュールを立てて、時間を区切って仕事する」というよりも、「少し無理めな時間設定をした方が、脳に対していい負荷がかかって能率がアップする。だから時間を区切ってやろう!」というように理屈を知っていた方が、よりやる気に直結するのではないでしょうか。
さて今日は脳機能の話ではなく、私が脳について考えているうちに閃いた事をご紹介したいと思います。
それは「人間関係水平論」です。
どういう事かといいますと、根底にある理屈は
「人間はやはり、究極的には自分で幸せになるしかない」という事です。
なぜなら詰まるところ幸せって、脳内に分泌される化学物質がもたらす物ですよね。
脳から分泌される物質により、人は幸せを感じるわけです。
それならばやはり、究極的には自分の幸せは自分でしか作れないと思うんですよ。
もちろんその脳内物質は一人では作れません。他者との関係あっての事です。
他者との良好な関係があり、それを自分が幸せだと感じて、そして自分の脳から幸せ物質を分泌させる。
幸せは他者との関係ありきですが、ホントの究極的にはやはり自分の幸せは自分でしか作れないと思うんですよね。
だとしたら!だとしたらですよ!?
人間関係における上下関係って成り立たないと思いませんか?
私が思うに、上下関係って結局は「その人に何とかしてもらいたい」という他人依存の考え方だと思うんですよ。
自分の将来をその人に何とかしてもらいたい。だからその人を立てる。
そんな心理が少なからず働いていると思いませんか?
しかし自分の幸せは結局は自分で作る(分泌させる)しかないのならば、もはや人間関係に上下関係って無いと思うんですよね。
誰が偉くて誰が偉くない。そんな関係はもう無いと思うんです。
ただし上下関係はないのですが、これに似た気持ちが一つ存在します。
それは人が人を尊敬する気持ちです。
上下関係無くしてこの気持ちをどう解釈するのか。
そこで出てくるのが人間関係水平論です。
人間関係に上も下もない。
あるのは、自分の目標とする所へ先に進んでいる人がいる。
もしくは、同じ目標に向かい、スピードの強弱はあれど一緒に進んでいる人がいる。
人間関係にあるのは、そういった水平関係だけなんです。
偉いも何もない。ただそこに近いかどうか。それだけだと思うんですよね。
そして自分とその人の距離にこそ、私は尊敬の念が発生すると思うのです。
よく「目標とする背中」なんて言いますが、まさにそのイメージなんですよね。
私は昔、「媚と尊敬との境界線はどこにあるんだ」なーんて事を考えてましたが、そもそも次元が違ったんですね。
文字通り二次元(水平)と三次元(上下)の違いです。
人間関係に上下関係は無い。つまり偉いも偉くないも無い。
だけれども、自分が目標とする所により近い人はいる。
その距離感にこそ、尊敬の念が発生する。
それが人間関係水平論。
いかがでしょうか。
この理屈を友達に話したら「う~ん。。」とあまり歯切れのよい返事は貰えませんでしたが(笑)
少なくとも今の私はそう思うんですよね。
みなさんはどう思います?
フォトリーディングは潜在意識を利用した読書法です。
これまで潜在意識と言うと少しオカルト的に考えていましたが、セミナーで潜在意識の存在を体感できるエクササイズを受け、すっかり見方が変わりました。
それ以来、潜在意識を始めとした脳の機能に興味を持つようになり、今では脳機能について知る事は最高の自己啓発の一つであると思っています。
タイムプレッシャー、ワーキングメモリ、エフィカシー、スコトーマ、自由否定、作話などなど。。
脳について色んな事実を知っていれば、物事の判断にまた一つ奥行きが出ると思います。
ただ単に「スケジュールを立てて、時間を区切って仕事する」というよりも、「少し無理めな時間設定をした方が、脳に対していい負荷がかかって能率がアップする。だから時間を区切ってやろう!」というように理屈を知っていた方が、よりやる気に直結するのではないでしょうか。
さて今日は脳機能の話ではなく、私が脳について考えているうちに閃いた事をご紹介したいと思います。
それは「人間関係水平論」です。
どういう事かといいますと、根底にある理屈は
「人間はやはり、究極的には自分で幸せになるしかない」という事です。
なぜなら詰まるところ幸せって、脳内に分泌される化学物質がもたらす物ですよね。
脳から分泌される物質により、人は幸せを感じるわけです。
それならばやはり、究極的には自分の幸せは自分でしか作れないと思うんですよ。
もちろんその脳内物質は一人では作れません。他者との関係あっての事です。
他者との良好な関係があり、それを自分が幸せだと感じて、そして自分の脳から幸せ物質を分泌させる。
幸せは他者との関係ありきですが、ホントの究極的にはやはり自分の幸せは自分でしか作れないと思うんですよね。
だとしたら!だとしたらですよ!?
人間関係における上下関係って成り立たないと思いませんか?
私が思うに、上下関係って結局は「その人に何とかしてもらいたい」という他人依存の考え方だと思うんですよ。
自分の将来をその人に何とかしてもらいたい。だからその人を立てる。
そんな心理が少なからず働いていると思いませんか?
しかし自分の幸せは結局は自分で作る(分泌させる)しかないのならば、もはや人間関係に上下関係って無いと思うんですよね。
誰が偉くて誰が偉くない。そんな関係はもう無いと思うんです。
ただし上下関係はないのですが、これに似た気持ちが一つ存在します。
それは人が人を尊敬する気持ちです。
上下関係無くしてこの気持ちをどう解釈するのか。
そこで出てくるのが人間関係水平論です。
人間関係に上も下もない。
あるのは、自分の目標とする所へ先に進んでいる人がいる。
もしくは、同じ目標に向かい、スピードの強弱はあれど一緒に進んでいる人がいる。
人間関係にあるのは、そういった水平関係だけなんです。
偉いも何もない。ただそこに近いかどうか。それだけだと思うんですよね。
そして自分とその人の距離にこそ、私は尊敬の念が発生すると思うのです。
よく「目標とする背中」なんて言いますが、まさにそのイメージなんですよね。
私は昔、「媚と尊敬との境界線はどこにあるんだ」なーんて事を考えてましたが、そもそも次元が違ったんですね。
文字通り二次元(水平)と三次元(上下)の違いです。
人間関係に上下関係は無い。つまり偉いも偉くないも無い。
だけれども、自分が目標とする所により近い人はいる。
その距離感にこそ、尊敬の念が発生する。
それが人間関係水平論。
いかがでしょうか。
この理屈を友達に話したら「う~ん。。」とあまり歯切れのよい返事は貰えませんでしたが(笑)
少なくとも今の私はそう思うんですよね。
みなさんはどう思います?