またどうしても震災の話となってしまいますが、

私にとって大切な存在の方が仙台在住で、今回被災されてしまったという話を

以前にもこの日記でお話しました。


その方と先日やっとお会いできることができました。

再会した瞬間、とっちか先に泣き始めたかは覚えてませんが、

私も涙がとまりませんでした。


それでも、二人ともすぐに笑顔に戻り、色々話始めましたが、

やはり、震災当日のことを聞くと、

とあるカフェでお茶を飲んでいたそうですが、

キレイなグラスがたくさん壁に飾られているカフェで、

地震の瞬間、それらのグラスが壁から壁へ飛び散り、(誰かが壁に投げつけているようだとも。)

破片が刺さっている気もしたが、構ってはおられないほど、

揺れが激しく身体を支えるのに精一杯だったものの、振るえも止らず床に座り込んでしまったそうです。

これは横揺れでもなく、縦揺れでもなく、「3D」揺れだったそうです。


そして、その後は、メールでやりとりしていたように、

最初の1週間は避難所で、食事はおにぎりとチクワと聞いては涙し、

電気、水道、ガスがやっと通ったと聞いてはまたうれしくて涙し、

2度目の大余震でまた全てが止ったと聞いたときは唖然として駅で腰が抜けそうになりました。

今は、だいたい元の通りの生活に戻ったと言います。

しかし、またお別れの時間に

くれぐれも気をつけてと言いつつも、

彼女をまた仙台に戻すのがつらくてまた涙が止りませんでいた。

私が大邸宅の主だったら、ずっと来てもらえるのにと、自分の不甲斐なさを感じつつ思いながらお別れしました。


被災された様子もメールやその方のブログでわかっていたような気になっていました。

余震が怖くて眠れないとか、メールでお聞きしても、

疲れれば眠れるだろうと思ってしまったり、

ガンバレ日本などと、常々思っていっても、それは、

東北という団体に対して、特に最近はそのように漠然と思っていただけだったのかもしれません。


そしてまだ、どうしても具合が悪い日があったり、眠れなかったりという日もまだあるようです。


またしても、あまりにも前向きすぎやしないかと思われそうですが、

人間の特性としては、うれしいことも悲しいことも「忘れる」という特技があるそうです。

健忘症や、度重なるうっかりは避けたいものですが、

半年をピークにつらいことも、うれしいことも忘却曲線は下がり、

人は前に進めるといいます。


しかし、思ったほど遅々として進まない復興ぶりをみるにつけ(仮設住宅8月って遅すぎませんか)

今申し上げたようなことは、1年後ぐらいにならないとピンと来やしないと思います。


彼女とは胸キュンな楽しくなる韓流ドラマを録画することを請け合いました。

任せてください、今5本録画してます。(全く見れてません。)そのうち1本は

本国韓国では「廃人」という言葉を作ったほど、ハマッてしまった女子が無数にでたそうです。

私も「廃人」への道へ身を投じつつあります。


土屋


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