神武天皇即位に単を発する、天皇陛下を国体とする神の国である日本では、天皇陛下の赤子たる皇国臣民(=真の日本人)、もとい(日本のあるべき姿である大日本帝国を明治維新によって興した)長州藩閥が「生産性がない」とみなした人間を人間扱いせず、社会から排除する国でなくてはいけない。
その最たるものは、なんといってもチョーセンエベンキヒトモドキとかいう、人間の見た目をしているが、その950万の遺伝子に異常がある、この世で最も卑しくて愚劣で低脳な、従軍慰安婦という名の性奴隷にされて当たり前の、朝鮮半島に生息している人の姿をしているだけのおぞましい何か、であるが、それに限らずかつて大日本帝国が行った、全てのアジア各国に明確な階級差を設け、日本はその「家長」として永遠に管理・統治する、という偉大な使命を果たすがための大東亜戦争を間違った戦争だと非難する考え方が根底にある非国民の国賊、もとい共産主義者はその全てを抹殺しなくてはいけない。
そもそも、共産主義者は神の存在を否定している。それは天皇陛下を国体とする神の国である日本を滅ぼす思想であり、そんな思想を持つ時点で人間として扱う必要性はないどころか、この世から一人残らず殺処分しなくてはいけない存在である。
また、共産主義者は全ての人間を平等に扱う世の中、つまりは神の国である日本では生産性がない(、と長州藩閥が判断した)存在をも人間として平等に扱う世の中を目指している存在である。むしろ人間扱いしたら日本が滅亡する事につながる存在が人間扱いされる世の中を望んでいるのだから、この世に存在してはいけない存在であろう。そう考えると、共産主義者にとって最もふさわしい仕打ちは、小林多喜二のような凄惨な拷問の末に殺害される事だと言える。
このように長州藩閥のものさしによって生産性の有無を測り、それを基に人権の有無も決める、そうでなくてはいけない国である日本では、自国での迫害から逃れ、日本に助けを求めて不法入国しようとしてきた外国人、もとい害酷塵が、死のうがどうなろうが知ったこっちゃない、と考えるのは当然の事である。
そもそも日本人じゃない時点で人権などある訳がないのだから、入管で虐待の末に殺害しても何の問題もない。それをよしとしない基本的人権という概念は、他の現行憲法の三大原則ごとなくさなくてはいけない。