私のブログを訪問してくださいまして、ありがとうございます。貴子です。麻木貴子でございます。


貴子の黎明期…幼稚園児時代の思い出の続き、②といたします。

 

 


1970年(昭和45年)、衝撃的な映画のシーンの真似をしてみたくて、私はまだ幼稚園児だったにもかかわらず、初めて女性用の「ストッキング」を穿いて遊びました。


女性用の「ストッキング」の、「爪先部分の色が濃くなっている補強部分」と、その「色が濃くなっている補強部分越しに見える、大人の女の人の爪先部分」に対して私は幼稚園児にもかかわらず、性的な魅力を感じていました。そして、普段の生活の中やテレビドラマのシーンで、そのような場面に遭遇すると、ドキドキ、ワクワクしたものでした。


幼稚園に通っていた私は、通園する時にはほとんど、半ズボンを穿いて、「タイツ」を穿く、というスタイルにはなりませんでしたが、「タイツ」を穿くことが好きでした。脚をぴったりと包んで、時々、足首の辺りが弛んでシワができる感触が大好きでした。「『タイツ』穿きたい!!」とおねだりしたこともありました。


この頃になると、一般家庭にも「パンティーストッキング」が普及していました。スカートを穿いているお勤めしている女の人や、お洒落してお出掛けするお姉さんやおばちゃん、幼稚園の先生も、ほぼ100%「パンティーストッキング」を穿いていました。私の母親もお洒落してお出掛けする時、必ず穿いていました。



その頃、私は郊外の、バスが通っている県道の近くに住んでいて、近くにバスの停留所がありました。当時は、私の家には自家用車がなかったので、街に出掛ける時は、いつもバスに乗りました。

私が住んでいていた地域では、路線バスは既にワンマンバスになっていて、ほとんどのバスは後ろ乗り、料金後払いになっていました。母親が街へ外出する時には、綺麗にお化粧💄して、お洒落な服を着て、「パンティーストッキング」も穿いて、よそ行きのハイヒールのパンプス👠を履き、ショルダーバッグをかけて出掛けました。私もよそ行きの服を着せられ、「タイツ」を穿いて、よそ行きの靴を履いて一緒について出掛けました。

その時代は、街へ行くバスは5分から10分間隔で運行されていました。昼間のバスも今と違って、お勤めに行く女の人や、お洒落して外出するお姉さんや大人の女の人も多かったです。私はバス停でバスを待っている時、お姉さんや大人の女の人が、腕時計を見て、時間を気にしたり、じっと立っていないで、立ったまま、脚を組み換えたり、靴を半分脱ぐ感じに、浮かせたりする仕草や、途中のバス停から、スカートを穿いて「パンティーストッキング」も穿いて、ハイヒールのパンプスを履いた女の人が、バスに乗り込む時、整理券を取りながら大変そうに2段のステップを上がって乗り込む仕草がとても魅力的に見えました。




そんなある日、変わった出来事に遭遇しました。私たちが街へ外出する際、いつものバス停からバスに乗ったのですが、その日は、今までに見たことがない、新しい型のバスが来ました。車内はかなり混雑していました。いくつか先の停留所にバスが停車した後、バスは止まったまま、なかなか発車しませんでした。すると、しばらくして、後のドアから降ろされて、後から来たバスに乗り変えるという出来事でした。

なぜか、この出来事から、6年ぐらい経った、小学校4年生の終わり頃のある日、この日の変わった出来事が夢に出てきたのです。それは怖い、本当に「変な夢」でした。

 

 

夢の中で、私達が乗ってきたバスを降ろされ、ふと、振り返ると、お洒落して、ワンピース着て、パンティーストッキング穿いた、街へお出掛けするのって感じの主婦っぽい女の人が、バスの傍らにうつ伏せに倒れていました…。






最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました❤️。

 

 

 

※(2019年(令和元年)6月27日(木)再編集しました。)