ブログに何も書かれていないのも.......、と言う事で今回私がMixiに書いたものをこちらにも乗せてみようかと。

「アガット」の名でMixiに不定期に日記を載せているのでよかったらそちらも遊びに来てね。

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本日のNHKニュースで、大々的にとてもすごいニュースが流れた。作曲家吉田正さんの未発表曲が4曲も発見されたという物だ。しかも昭和24年に竹山逸郎さんが歌った「異国の月」に酷似した曲まで。この曲達は、吉田正さん自身がシベリア抑留されていた時に作った曲の中の4曲だそうだ。そもそも吉田正さんは、このシベリア抑留の時に何曲かの楽曲(ニュースによれば40曲近く)を作っているのだが、そのほぼすべてが消失してしまっている。そもそもこのシベリア抑留に関し、帰国する際には日本に持ち帰れる物にはかなり制限があって、メモ書きの様な物はスパイ容疑がかかるため持ち帰る事が出来なかった。そのような中で、唯一メモ書きを持ち帰ったであろう楽曲が、昭和23年竹山逸郎さんと中村耕造さんが歌った「異国の丘」であろう。この曲は言わずと知れた吉田正さんのデビュー曲である。戦後直後、シベリアから引き揚げてきた一人の兵士中村耕造さんがNHKのど自慢にてこの楽曲を歌った。多くの引揚者達は、「軍歌」や霧島昇さんの「誰か故郷を思わざる」などを歌う中、一人この「異国の丘」を歌い、これは誰の何と言う曲だと話題になった。その事を耳にした吉田正さんは、自分が作った曲がそんな事になっていてとても驚いた。しかしいくら自分の曲だと言おうとしても証拠がない。そんな折、何と偶然にもこの楽曲に関するメモ書きが出てきた。これは抑留時代に作詞した、増田幸治さんがこっそり服の間に忍ばせ持ち帰った物だった。(そもそのこの楽曲は、吉田が昭和18年、陸軍上等兵として満州にいた時に、作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲)吉田はこのメモ書きをもとに日本ビクターにこの曲は自分が作った物ですと申し出た。これにより一躍有名になり、作曲家吉田正が誕生したという訳だ。そして昭和23年に、この曲を歌った中村耕造さんと、それだけでは知名度が無く不安なため当時売れっ子だった竹山逸郎さんを添えてデュエットにてレコードが発売された。だからそもそも抑留時代の楽曲のほとんどがすでに消失し、もう出てこない物と思っていた。しかも何十年もたった今の時代に。それを頭に覚えて記憶し持ち帰った方がいたとは。これはすごい事である。この発見は、日本の歌謡曲史上とても貴重な物と言えよう。なおこのような楽曲が他にもあるとするならば是非発掘してほしいと共にその作業が急がれる。もうシベリア抑留されていた方々も80歳代とご高齢になっており、すでに亡くなられた方もいらっしゃる中で、楽曲の事を今でも記憶されてらっしゃる方も年々減っているであろう中、本当に消失が秒読み段階と言ってもよい。なのでこの今のうちに、一曲でも多くの楽曲が発掘され後世に保存される事を願ってやまない。