mixiの載せた記事のアメーバ版です。これを読んだ皆さんも現実を理解し良く考えて下さい。

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皆さんもよく考えて下さい。それは最近の某大手古本屋はほぼ状態での買い取りなので、人気本、稀覯本・希少本・プレミア本であろうと関係無くタダ同然で安く買いたたいていると言う現実。これは店員の方が古本に対して素人な人が多いためですが、それだけならまだ良いにしても、本当にひどい時は、新刊書店の紙カバーがかかっている本に対し、カバーをはぐってどんな本か確認もせずパッと査定終了。状態が少しでも悪ければ即廃棄行き。しかも状態の良くない本はお客さんから引き取り、廃棄処分にしているのです。当然ながら古く希少な本は年数がたっていて状態が悪い本が多いため、そのほとんどが廃棄処分にされてしまっている現実があります。現在進行形で無知な店員によって良い本がどんどん捨てられている現実、おかげで中々見つからなくなった本も多々あります(マンガに限らず)。たまに「なんでも鑑定団」の番組で稀覯本の査定があり何万何十万と高値が付いていますが、このような本でも査定で10円、いや廃棄本扱いになってしまっているのです。恐ろしいですね。まあ知っている方は持ち込まないのですが。それでも今でもまれに持ち込まれるケースがあります。家の大掃除をしたら昔家主が買った本が出てきたケース等、しかし相手は素人なので本の価値が解らず持ち込む事があるのです。今日も、たまたま店に行った時に、買い取りで珍しく希少なな昭和30年代のマンガ本が大量に入ってきたのですが、それらはすべて引き取って廃棄に回されていました。買い取っていたのは、どうでもよい何処の店舗にもある様な80~90年代のマンガ本が、量にして持ち込まれた全体の5分の1ほど。仮に私が古本屋をやっていたら、売れないからと買い取らない、廃棄にも費用がかかるから引き取りも断る様な本ばかりでした。これではあまり良い本が入るはずがありません。そんな事をやっているため、どこの店にも同じような本しか並ばず客に飽きられているのです。おまけにCD・DVD・ゲームソフトに関しては完全に本部からのリストによる査定で、良く知りもしないやつがちょこちょことパソコンと照らし合わせて終わり。リストになければどんなに良い物でもほぼ買いたたくか¥10です。なので上記内容に不満を持っている方をネット上で良く見かけますし、これを知っている人は絶対に利用していません。このような状態+上記の様な本の買い取りによるゴミ同然の不良在庫の山、又、古本業界(古書業界ではなく)が飽和状態にある事などから、業績も不振なため毎年買い取り価格が下がっているのです。また一部店舗では希少漫画を廃棄として引き取っておきながら、「まんだらけ」に高く横流ししてたり、D本(廃棄)扱いで引き取った本をこっそり他店で販売しているという噂も聞きます。こんなんで良いのでしょうか?逆に個人でやられている古本屋、神田神保町あたりの古書店ではそのジャンル専門の知識人がしっかり内容で査定して高値を付けてくれます。マンガならば「まんだらけ」も知識を持った専門スタッフがしっかり査定してくれるため、売るにはかなり良いと思います。正直人気本は「ほんだらけ」の様なある意味個性的な所が高く査定してくれますし、売りに行くのが面倒であれば「まんだらけ」「駿河屋」等の郵送買い取りも有効ではないでしょうか。もしより高く売りたければ自分でネット(ヤフーやアマゾン)やフリマに出すのも有効です。しかし、これらの店舗でも、極端に状態が悪い物はNGとなるでしょうが、当然"年代による考慮"はしてくれます。しかしここは完全状態査定なため"年代による考慮"が無いのです。私はこの某大手古本屋に対し"ハリボテ古書店"という言葉を聴いた事があります。面構えは立派な古本屋だが中に入ると中身がない。まあテキトーな綺麗そうな本しか並んでいないのですから。なんだかピッタリな気がしますね。本10冊以上を売ったらこの某大手古本屋と他の古本屋とでは¥500以上の差が出ると言う話も耳にします(それだけ経営の方が...........、なのかもしれませんが)。こんな現実をもっと広く皆さんに知ってもらいたいのです。"覆水盆に返らず"ということわざがありますが廃棄した本は元には戻らないのです。素人の方が何も気にせずいとも簡単に希少本を廃棄している古本屋がある。これはある意味恐ろしい事です。私は親しかった古本屋の社長から言われた事があります。「古本屋は職人だ」と。まさにその通りで、古本屋は物が解ってなんぼの商売。適当に1冊100円で並べて置く店が古本屋であるはずがない。皆さんはそれでもこんな某大手古本屋に本を売りたいですか?
補足:こんなん見つけました。この査定はひどい!!↓
http://www.j-cast.com/2011/01/28086776.html http://www.news30over.com/archives/2352453.html
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再改定版

超久々の更新ではあるが、今回、とても驚くニュースが飛び込んできたのでそれに関して、mixiに載せた物をこちらにもUPしようと思う。(長文注意!!)

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 本日のニュースにてとても驚くニュースが流れた。約70年前に絶滅したとされる魚が見つかったというモノである。その名は「クニマス(国鱒)」この魚は秋田県田沢湖の固有種で1940年まで生息していたが、発電所開発のため酸性水が流れ込んだ影響で1年とたたず絶滅してしまった。(もともと鱒の仲間は酸性に弱いためいち早く姿を消したのだろう。また同じく田沢湖にのみ生息していたクロクチマス(黒口鱒)についても同様に絶滅したと言われているが、こちらの種は現在でも詳細が把握されていない)クニマスは固有種だったため田沢湖から姿を消してしまい絶滅したはずだった、が、しかし遠く離れた山梨県の西湖で生きていた。まさにこれは世紀の大発見である。これは絶滅の5年前に西湖に送られた卵が放流されそこで生き延びていた物と言う。私も以前雑誌にて、山梨の本栖湖や西湖、他県の湖等に放流された事は読んだ事があり、ひょっとしたらとわくわくしたモノだ。しかし1990年代に懸賞金を懸けてまで捜索したが見つからなかった事、又環境省と言う公の機関が絶滅種(EX)とレッドデータに載せている事などからもういないのかと思われた。それがやはり出てきた、と言うか生きていた。そもそも今現在、このクニマスを含め環境省レッドデータにて絶滅種とされている淡水魚は3種類で他の2種は「スワモロコ(諏訪諸子)」「ミナミトミヨ(南富魚)」でスワモロコはやはり長野県諏訪湖にのみ生息していた、コイ科の諸子の仲間で後々諏訪湖に移植された「ホンモロコ(本諸子)」に次第に生息場所を追われ絶滅した。ミナミトミヨは京都市西南部・兵庫県柏原市・水上町に分布していたトゲウオ科の魚である。そもそもトゲウオの仲間はアジア近辺にのみ分布し、その大多数は冷たい清流がこんこんとわきだす場所にのみ生息している。(一部降海型の「イトヨ(糸魚)」は湧水地に生息はしない。今の時期は良く魚屋等に出回りから揚げ等で食べると美味である)そのため生息場所の湧水が枯れてしまったりすると生息する事が出来ない。北の方に生息しているのなら気温・水温共に冷たいのでまだ良いが南の方では気候が温暖なため湧水が無くなると即水温上昇、絶滅の危機に瀕する。そのためミナミトミヨも急速な都市化の波にのまれ1960年代には姿を消してしまった。今トゲウオの仲間は急速に数を減らし絶滅の危機に瀕している。しかしクニマスは生きていた。そしてここからは私の個人的な考え、意見なのだが、いくら生きていたとは言っても、もはやこれは十和田湖のクニマスではなく、西湖のクニマスである。おそらくは70年の間に遺伝子が変化し、地域個体群が異なっているであろうから、十和田湖の物とは別種になっている可能性が高い。なのでもうすでに十和田湖のクニマスはこの世に存在しないのだ。そのためこのクニマスを安易に十和田湖へ移植(戻す)する事は出来ないであろう。地域個体群が異なる事もそうなのだが、十和田湖には今の十和田湖の生態系の輪がある。そこに、今はいない、いわば新しい物をねじ込む事になる。当然今の生態系の輪が乱れ何かしらの事が起こってもおかしくないと思う。
まあしかしこれは大変喜ばしい事で、これをきっかけに環境保護の事、自然の尊さについてなどをより深く考えるきっかけになればと私は思う。


ef586061さんのブログ-僕の東京地図・歌詞

ef586061さんのブログ-僕の東京地図・レーベル
今回は第2弾と言う事で、私のプロフィール画像になっている曾根史郎さんの「僕の東京地図」について、以前私がMixiに書いたものを少し書き換えて、こちらに乗せてみようと思います。

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今回は、曾根史郎さんが歌う、「僕の東京地図」と言う曲のレコードを紹介しようと思う。。作詞・吉川静夫、作編曲・吉田正で、発売は東京タワー開業の翌年1959年。しかもこの曲、私のカラオケの18番だったする。
私はこの曲を聴くと映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を連想する。映画の初め、青森から出てきた星野六子ちゃんが、友人達と集団就職列車の窓から景色を眺め、{みてみて、でっけービルヂングだー、おー、東京だなー、自動車会社って書いてあるべー、六子おめーの勤める会社でねーのかー}と言い合っているシーン、いかにもこの曲の2番の出だし{あのビルも、このビルも、連なる山か、虹かかる、水青きお堀端}の歌詞のイメージそのもな感じがする。
そして、上野駅で18番線ホームから{やーっと着いたなー、こーっだにいっぺーの人見た事ねーなー、やっぱす東京だなー}と言いながら降りて来たら、鈴木オートの社長がミゼットで迎えに来ていて、鈴木オートに向かう道すがら、ミゼットが、ゆっくり走る東京都電を追い越し(おそらく都電の平均時速は時速15キロ位)、アドバルーンの上がる建物越しに建設途中の東京タワーを見上げ、鈴木オートの社長が{東京タワーだ、完成すれば世界一になる}と言っているシーンが、3番の{行く人も、来る人も、希望を胸に、抱きしめて夢さそう、若い街、華やかなあの塔は、東京タワー、やさしく甘く呼ぶよ、愛のメロディー}まさにこれである。
やはりこの頃は、東京タワーは東京の大きなシンボルだったのでしょうね。
又、映画とは関係は無いが1番の{青春の西銀座}の部分、当時銀座は若者の街で、この西銀座とはメトロの駅名の事。今でこそ銀座駅となったが、当時は西銀座と言う駅名だった。そしてこの西銀座を歌った名曲と言えば{ABC・XYZ、これがおいらの口癖さ}と歌った1958年発売のフランク永井さんの「西銀座駅前」でしょう。共にやはり時代を感じるとても良い曲だと思う。