国鉄が老朽食堂車の台枠を使って試作した新型荷物車でした。

軽量車体にもかかわらず、台車と荷重が重いので、最大級の「カニ」になってしまいました。

通常の荷物車は、1ランク下の「マニ」です。

ちなみに、客車は、軽い順から、コ、ホ、ナ、オ、ス、マ、カとなっており、コは小型、ホはボギー、ナは中型、オは大型、スはスチール、マはマキシマム、カは闊大の略です。

 明治時代のマッチ箱は小型、台車つきがボギー(台車の意味)、少し大きくなってナカ、もう少し大きくなってオオ、大正時代に鋼製になりスチールときて、マ級が出来たときはそれがマックスだったのに、もっと重いものが現れ、「これ以上重いものはない」という意味の闊大(闊重ともいう)のカが使われました。


主に東京ー奈良間の急行「大和」に連結して使用されましたが、総開きの走るスチール物置、スニ41が量産され、カニ38は量産されず、救援車スエ38に改番されてしまいました。

 

しかし、軽量孝蔵+巻き上げシャッターは、ブルートレインの荷物車カニ21に受け継がれたのです。

こちらは、巨大発電機が2基入っているため闊大になっています。





福岡県の三池鉱山では、各種の凸型電気機関車がへんてこな貨車を牽いて縦横無尽に走り回っていましたが、職員輸送用に、国鉄モハ63型と同型の客車をけん引していました。

総数26両を数え、国鉄・西武・東武・京成・伊豆箱根(西武のものが移籍)、富山地鉄、南海、遠鉄(西武のものが移籍)、越後交通(西武のものが移籍)、南海、西鉄で活躍した、東芝凸型機関車の第一号は、この三池鉱山用の3両でした。

 戦後、南海と西鉄から1両づつ移籍し、1両を追加新造して、三池の凸型機関車は6両になりましたが、戦前性製の3両は、幅がやや狭く、ドアが向って左側についているのに対し、戦後型は角ばって右にドアがついています。

 なお、26両中、越後交通ED31は、東芝ではなく、西武がデットコピーした機関車で、やはりドアが反対についています。

 さらに、一回り小型の機関車が京福電鉄と豊橋鉄道にいました。前者は素国鉄ED35でした。











一見DD13に似た機関車は、日本車両が試作して国鉄に納入したDD93です。名古屋地区の入替(笹島駅構内)で使われました。

 DD13は500馬力エンジン×2ですが、これを1000馬力×1としたものです。同時期に国鉄が自前で作ったDD20ともども、不具合が多く、結局1000馬力級機関1基搭載の液体式は、DE10が量産されました。

 ただし、入替用として使う分には申し分なく、そのまま名古屋臨海鉄道に移籍して、引き続き名古屋地区の貨物駅の入替に従事しました。


次に、派手な塗装のアメリカンスタイルの機関車は、DD41として製作され、DD90に改められた機関車で、東芝が米国GEの技術により試作した、電気式の入替用でした。

 電気式の入替機の中では最優秀で、終始大宮操車場で試用されましたが、国鉄のディーゼル機関車は液体式で統一されることになり、採用されませんでした。それでも試作機の中では最も長期間使われました。

量産された場合、DD12(2代目)になる予定でした。DD12初代も、アメリカ製の電気式入替機でした。

なお、赤字に銀色の手のひらの塗装は、のちに茶色一色、さらにはオレンジに白線に塗り替えられました。