西鉄1300系は、1000系の増備に際し、中間電動車だけを新製し、先頭車は戦前の特急車600系の先頭車を流用したものである。


なお、その時余った600系の中間車と、取り外したモーターを使って新しく作った車両は、旧型車の増結に回して有効活用した。

先頭は国鉄クモハ52を釣り目にして少し短くした車体、中間車は神鉄300や京浜600を中間車にしたようなアンバランスな編成であるが、ともに優等車にありがちなデザインなので、1両ごとに見ると違和感がない










阪急初のいわゆる新性能車。

窓の周りが出っ張っていてその上下が絞られている卵型断面の軽量設計。冷房化前は屋根肩にルーバーが並んでいました。

模型は能勢電からの復元で今津線を想定









おけいはん1300系は、終戦直後の混乱期に入線した、いわゆる「運輸省規格型」電車で、幅が狭く、縦長の窓が並ぶおけいはんの電車とは異なり、低い窓の鈍重な姿(名鉄や南海の電車に似ている)で入線しました。当初は2扉でした。

なお、運輸省規格型は4タイプあり、大型が国鉄63型、中型2扉、中型3扉、小型で、1300系は中型2扉で、タイプシップは戦前の名鉄800型でしたが、同じ中型2扉の規格型の名鉄3800系とは窓廃置が異なり(1つ短い)、南海はドアの外側の窓が多いため、同型は小田急1910系だけでした。3扉車がすべて国鉄クモハ11と同じd1D4D4D2であったのと違いますね。なおこちらのタイプシップは東横モハ500、のちのデハ3450です。窓の高さと全長に差がありますが、東急系全車、国鉄、西武、東武で同じ窓配置の電車が造られ、さらに全国にばらまかれ、最も電車らしい電車となりました。

 一方で2扉の方は会社によってクロスシートだったりロングシートだったりまちまちで、名鉄で大量につくられた以外は意外と少数派でした。

 このおけいはん1300系、兄弟の阪急700系(製造時、おけいはんは阪急の一一員でした)も、従前の電車とデザインが違うことから、あまり大切には扱われませんでした。

しかしそれでも昇圧前日まで宇治線を中心に活躍していました。

 車体は6タイプあり、すべて片運転台ですが、運転台撤去跡がドアのままで、パンタグラフが前のもの①、後ろのもの②、運転台撤去あとが小窓でパンタが前のもの③、後ろのもの④、もともと片運転台だったもののクモハ⑤とクハ⑥がありました。

 そのうち、私は鉄コレの名鉄3800系を改造し、⑤-⑥-⑤-②という形態の4両編成(中間に入る2両はライト撤去の中間車代用)として作ってみました。

 名鉄電車を真ん中から切断し、窓3つ残してそこに別の同型車のドアを挟みました。

長さは窓1個分短くなり17m級になります。

テールランプを前田敦子のように内側に寄せるとおけいはんらしくなります。中書島行きのサボをつけました。