3月6日土曜日、早起きして7時過ぎに自宅を出る。虎姫駅には9時47分に到着。久しぶりに湖東を歩くが、ここはもはや湖北である。前回の今津とは反対側から琵琶湖を見ることになる。



 

  10時18分 振り返ると右手奥に冠雪した伊吹山、左手前に虎御前山、その背後に小谷山が見える。



 10時41分 高時川を渡り、田川沿いに歩くと前方右手に大守神社の神社森が見えてきた。その右奥のこんもりした山は山本山城跡。(やまもと やまじろ)

 大守神社あるいは大炊森大明神と称し、敦賀の笥飯(けひ)神宮より分祀したと伝えます。



 11時16分 田川河口、八木浜に到着。

 振り返ると伊吹山が正面に。ここからは湖岸沿いに北上する。



 11時39分  早崎町に入ると竹生島が、いよいよ間近に見えてくる。行政上竹生島は早崎町に属すのだ。

 早崎町には竹生島神社の辺津宮(へつみや)がある。東国から竹生島神社に参拝する者はこの辺津宮に参ってから舟で竹生島へ渡ったという。



 竹生島は全体が花崗岩の一枚岩でできている。

 竹生島大神(市杵島比賣命)・浅井比賣命を祀る竹生島神社と弁財天を本尊とする宝厳寺が鎮座するが、これは明治の神仏分離令以降のことで、元々は竹生島弁財天社・竹生島権現などと呼ばれていた。

 たたずまいが以前参拝したことのある、玄界灘に浮かぶ宗像大社沖津宮を祀る沖ノ島にそっくりだ。

 そう言えば、島全体が信仰の対象であることも同じだ。厳島神社や江島神社も島自体が御神体であり、宗像大社と同じく、いちきしまひめ、たぎつひめ、たごりひめ、の三女神を祀っている。

 三女神は航海の神であろう。

 市杵島比賣命は弁財天と習合しているため、毎年6月10日に竹生島神社には、江島神社と厳島神社の神官が各弁財天の分霊をもちより、三社弁財天祭が行われる。

 さまざまな起源伝説などにもふれたいが、きりがないので、ここでは竹生島島自体が御神体で、古くから琵琶湖を航行する人達の崇拝の対象であったことだけを確認しておきたい。



 12時14分 延勝寺の湖岸に立つとすでに竹生島を過ぎ、右手に葛籠尾崎(つづらおざき)が大きく迫り出してきていた。中央に見えているのは、湖北の撮影スポットになっている水没林だ。

 延勝寺集落は五穀豊穣を願う祭、「おこない」で民俗学では知られている。おこないは滋賀県下の各地で行われるが、ここでは男性が女装して練り歩くことから「嫁おこない」と呼ばれている。



 13時過ぎに湖北野鳥センターに到着。湖北町尾上という。温泉旅館紅鮎の前は尾上漁港。

 竹生島と葛籠尾崎の間には水深70mの湖底谷があり、縄文時代早期から平安時代後期まで約8000年に及ぶ期間の約250点もの土器が発見されている。しかも破片ではなく、完形品が多いのが特徴です。

 葛籠尾崎湖底遺跡と呼ばれ、日本における水中考古学発祥の遺跡です。

 引き上げられた遺物は尾上出身の考古学者故小江慶雄さんの努力で地元に残されて、尾上公民館に葛籠尾崎湖底遺跡資料館として保存展示されています。

 湖底に何故このような遺跡があるのか。諸説ありますが、祭祀遺跡説に賛同したいと思っています。これらの土器は航海の安全を祈念して、竹生島に捧げる供物を載せて沈められたのでのはないでしょうか。

 当たっているとすれば、おそろしく長く続いた祭祀といえ、また琵琶湖水運の起源が縄文時代早期に遡ることにもなるのですが、ありえない話しではないと思っています。


(つづく)