2. 近江八幡から能登川(3)

 エッセイストの白洲正子さんは近江が大好きで琵琶湖周辺を何度も訪れて、「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺あたりと答えるであろう」と、『近江山河抄』に書いている。菅浦あたりの景観にも惹かれるが、同意したい。

 古い寺社で創建の事情が明らかなものは、正史に記録されるほどの一部官寺などを除くと、極めて少ない。多くは長い年月の間に戦乱や災害に見舞われて記録を失っているからである。

 そこで、寺伝によると、などという出所不明な伝承が語られることになるのだが、ほとんどあてにはならない。ありえないほど起源が古い時代だったり、創建者に著名な人物をあてたりしている。それにより箔がつき、有難みが増すと考えたのだろうね。

 長命寺の場合も例外ではない。寺伝では、第12代景行天皇(実在したかは疑問)の時、武内宿禰がこの地にやって来て、柳の木に「寿命長遠所願成就」と彫り長寿を祈願したところ、三百歳の長寿を保った。後に聖徳太子がこの地を訪れた際に、彫られた文字を発見して眺めていたところ、白髪の老人が現れて、その木で仏像を彫り安置するようにと告げた。そこで太子は十一面観世音を彫り、寺を建立して安置して宿禰の長寿にあやかって長命寺と名付けたと。

 聖徳太子創建とするのは常套手段だが、武内宿禰を登場させるのは珍しい。

 漢字伝来以前に文字が彫られたなど現在の知識からは吹き出しものだが、記紀に詳しい知恵者がいて、長命の文字に関連させて説いたと想像される。長寿を願う多くの善男善女がこの話に惹かれて参詣したかと思うと、寺運興隆の陰の立役者と言えよう。

 長命寺は多くの古文書を伝来してきたことでも知られる。その中に、承保元年(1074)3月に奥島庄司の土師助正という人物が長命寺に土地を寄進する内容の文書がある。これが長命寺の寺名を記した最古の史料とされる。奥島は長命寺周辺の地名であるから、このあたりも11世紀には庄園となっていて、土地の寄進を受けるほどに寺勢が盛んだった様子もしのばれる。

 長命寺の眼前に琵琶湖最大にして唯一の有人島である沖島(沖ノ島とも)が浮かぶ。今回渡ることは出来なかったが、島には和銅五年(712)藤原不比等によって創祀されたと伝わる延喜式内大社、奥津島神社が鎮座する。不比等と近江国の関係は深い。近江一国が不比等に与えられただけでなく、死後淡海公と諡されたほどなので、創建に関わっても不思議ではない。

 左手に島影を眺めながら湖岸沿いに歩く。右手には長命寺山から続く湖南アルプスと呼ばれる山塊が迫る。

 休暇村近江八幡に立ち寄ってトイレと水分補給をしたのが16時過ぎ。休暇村をでるバスを見送る。もはや歩き通すしかない。

 まもなく堀切新港を眼下に望む峠にさしかかる。沖島への渡船なのか、船が一艘港を出て行く。

 湖岸道路へ向かう。不意に広大な農地にでた。整然と区画されている。大中干拓地だ。だいなかと読む。

 近江八幡市大中町、近江八幡市安土町大中、東近江市大中町にまたがる。

 琵琶湖最大の内湖だった大中湖を戦後埋めたてて造成された農地で、干拓の過程で弥生時代の農業集落遺跡など数多くの遺跡が発見されたことでも有名だ。

 ただ歩くには少々退屈。変化のない舗装された直線農道がずうっと続く。ところどころに大規模なビニールハウスが並びたつ。次々と軽トラや乗用車が発進してゆく。仕事を終えた人たちが帰宅するのだ。帰宅先は大中町か。これまた整然と区画された住宅が農地の中に並ぶ。近江八幡市大中町だ。家々をへだてる塀はない。新興住宅地のようなお洒落な家が多く、都市周辺の団地などとことなり、敷地に余裕がある。それでもクリーク沿いの桜並木には年輪を感じる。干拓から半世紀を経た重みだ。町はずれには、大中の湖神社が祀られている。名前は新しいがそれなりの風格ついている。

 



 町を抜けるともろこ釣りで知られる大同川に出る。伊庭内湖に発し、琵琶湖にそそぐ一級河川だが、クリークである。河口付近に水車があると後から知った。

 干拓地は琵琶湖の湖面より水位が低いため、増水時に排水が欠かせない。そのための水車としたら、オランダの風車と同じだ。観ることができずに残念。

 堰堤から振り返ると竜王の山々が夕焼けに染まっていた。

 右岸に集落の影が浮かんだので橋を渡る。さすがに真っ暗な堰堤道路を歩くのは辛い。

 福堂町の集落に入る。冬の早い日没に人通りは全くない。またもや闇夜に包まれてしまった。能登川駅まで3kmほど。40分はかかりそうだと時計をみていると、すうっと小型のバスが止まった。偶然にもそこはバス停だったのだ。

 運転士に、このバスは能登川駅へ行きますかと訪ねるも返事がない。なんとなくあごをしゃくって乗れと言った気配に、考える間もなく飛び乗った。彼にしてみれば停留所に立っていながら、今さら何を言っていやがる、という気分だったのだろう。

 ほかに一人の乗客もない。暗闇の田園を右に左にヘッドライトが暗闇を裂いて進む。まるでアニメ「となりのトトロ」に出てくるネコバスに乗った気分を味わった。まもなく無事に能登川駅到着。降りるときに、ありがとうと声をかけるとニヤッと会釈された。

 歩行数約48000歩。バウムクーヘンには手をつけづに済みました。