本日のテーマ Familienstellen とは、家族セラピーとはまた違った、疑似家族を構成することによって気づきの発見を促すものです。
多くの偶然がそこで生まれ、本当に興味深い実践演習でした。

方法:
クライアントとその家族を演じる人に分かれ、先生が観察者となりました。
クライアント役に立候補した生徒はベアという名の女性で、彼女が育った家族構成に着目します。
ベアは生徒たち一人一人の手を取って「あなたは私の母、ヒルデガントです。この役をお願いします」と伝えて母親役の生徒を教室の好きな場所に連れて行きます。それから父親役、祖母役、祖父役、叔父役、姉役、そして本人役と役を振り分けていき、それぞれを彼女の直感に従って教室に配置されていきます。

ここで大切なのは、彼女の家族の成り立ち等細かい事は打ち明けられていないという事。先生も演じる人間たちも彼女の家族の情報はほとんど知りません。

そしてベアは先生から離れた場所でこの家族を観察します。

私はベアの姉役に指名され、父親役のすぐそばに配置されました。

先生が、演じる生徒たちに「今どんな気持ちですか?この立ち位置は快適ですか?」と聞いていきます。

ベアは家族の中で特に祖母と母親と仲良かったようで、本人役、祖母役、母親役をとても近づけて配置していました。しかし、祖母役の生徒は「近づきすぎて息が詰まるよう」と表現し、距離を離していきます。

母親役も「夫のそばにいたくない」といって本人役をつれて父親役から離れていきます。

父親役も「妻がそばにいるのがいやだ、なんだか寒気を感じる」と言っていました。

私は父親役のそばにいてとても快適で、彼から離れたくないと感じていました。
そして母親役、本人役、祖母役がこの立ち位置がいやだとか、ここがいい、と勝手に動いている間、私と父親役はとても疎外感を感じていました。

そして、ベアから、ベアの祖父母は母親の両親で、一緒に住んでいた叔父たちも母親の兄弟であるということが伝えられ、父親はようするに日本で言う婿の立場であった事が明らかになりました。

叔父役の生徒たちも祖母役を糾弾したり、母親役をなじったりと、すっかり役になりっきって感情がエスカレートしていきます。

私はその状況を見て、「なんだか私に関係ない事、勝手にわいわいやっていればいい」と感じました。
父親役と母親役が口論を始めたときは、思わず父親役の後ろに隠れてしまいました。

その状況を先生はきちんと観察しており、私が隠れたときも「どうして立ち位置を変えたの?」とすかさず質問していきます。

そして叔父たちも含め、どんどん立ち位置が変わっていきます。

ベア本人は口を挟む事ができません。

そして父親役がベア本人役と私の間に立ち位置を変えたとき、私はとても違和感を感じました。
「彼を独り占めしたい、ベアは母親も祖母も味方に付けてるじゃないか」という怒りに近いものも感じ、それを先生に伝えました。

そしてある程度立ち位置が落ち着いて来たところで、このシュミレーションは終了しました。
本人役の立ち位置は家族の真ん中に位置していました。

ベア本人が演じた生徒一人一人の両肩に手を置き「母親役を演じてくれてありがとう、あなたは再びもとの自分に戻ります」と伝えていきます。

そしてベアがこのシュミレーションを観察して感じた事を先生が引き出していきます。

驚いた事に、やはり彼女の姉は父親と一番仲がよく、家族内のごたごたに関して一切関心を持たず、今はイギリスに行ったっきり家族とあまり接触が無いということ、家族の誰ともうまくやっていたのはベアで、終了時に彼女役が家族の真ん中に立っていたというのは当たっていた、などなど。

何の情報も無いのに、たくさんのことが当たっていて本当にびっくりしました。
一種の集団催眠状態というのでしょうか。
彼女の無意識がみんなに作用したというか、なんなんだろう?と不思議でなりません。
ベア本人も感じた事がたくさんあったようで、とても複雑な表情をしていました。

このシュミレーションで得られるものはいったい何なのでしょうか?
家族一人一人の立場、感情、関係を一歩離れて客観的に捉えるという事は、なかなかできることではありません。しかし、これを通じて、自分の無意識を意識下に置き換えていく事は可能なのではないかな、と感じました。

さすがに他の生徒の前で自分の家族の事を暴露できるほど、私はオープンな人間ではないのですが、暴露した生徒がとっても身近に感じることができるようになったのは事実です。
普段、授業で一緒するだけであまりプライベートなところまで踏み込む事が無いため、「この人ってこういう家族構成だったのね」と知る事は新鮮でした。

その後、演じる人がいない場合、セラピストとクライアントの1対1の場合はどう行うか、という事も学び、とてもおもしろい授業でした。

自然療法士のテストには全く関係ない領域ではあるけれども、自分が自然療法士として開業した際に、やはりいろいろな形のセラピーを知っておく事が大切なんだなーと思います。
月曜日はこういった、心理セラピーや代替医療の勉強ができてとっても楽しいです。
来週はバッチフラワーセラピーを学びます。
日本で実際にこのセラピーを学んだことがあるため、ドイツではどう学べるのか、今からとっても楽しみです。
本日のテーマはホメオパシーでした。
日本でも知る人ぞ知る代替療法でしょう。
ただ、臨床式というのは、200年前にドイツ人の自然療法士であるハーネマンが生み出した伝統的なホメオパシーとは全く違うものということです。

ドイツではホメオパシーがとって身近なもので、小児科や一般のお医者さんも処方する日本の漢方のような位置づけにあります。
ようするに、この症状にはこれ、といった、西洋医学で用いられる薬と同じように処方されるということです。患者ではなく病気に対応させる薬という形で、ホームセルフケアとして気軽に手に入れることができます。これがようするに「臨床的」と言われます。

では、「伝統的」と言われるホメオパシーというのは、対処療法的にレメディを用いるのではなく、体に表れている不調というものは魂や精神に基づくものという考えのもとに、数年かけて修行したホメオパスさんがあらゆる角度からの質問を投げかけ、例えば「どちら側に体を傾けて寝るか」「どんな夢を見るか」「どんなものに恐怖を感じるか」などを数時間以上かけて患者の情報を集め、数千と言われるレメディのなかからぴったりのものをひとつ選んで処方するというもの。
これがどんぴしゃで当たれば、体調不良も一発で治るといいます。
しかも服用するレメディはたったの1粒でも効果は絶大なんですって。
もちろん、それが当たるかどうかは修行を積んだホメオパスさんの力量にかかってる訳で、うーん・・・、この方法だったらなかなか一般の人に広まらなかったろうなと思います。

ホメオパシーでは普通、希釈率の高いものが効果が高く、希釈率の低いものが効果がマイルドといいます。
「臨床式」では希釈率の低いものを、「伝統的」では希釈率の高いものを処方するようです。
少なければ少ないほど強力になる薬効という考えは西洋医学では真逆の理論であり、このために、今でもホメオパシーとサイエンスの水掛け論的議論が続いているといいます。

ホメオパシーの考えというのはよく知られているように、「毒を毒で制す」または「類は類を治す」が根本理念です。例えば、マラリアに効くといわれるキナという植物は、健康な人が服用するとマラリアにかかったのと同じ症状が現れます。これは現代医学におけるワクチン接種と同じセオリーといえます。
しかしレメディには薬効成分がひと分子も含まれていない、ただの砂糖の塊であるがゆえ、ホメオパシーを鼻から信じない人も大勢いる事は確かです。

私自身は、何とも言えないというのが本音です。
体にあったレメディを選べばあっという間に症状が軽くなるというホメオパシーマジックを身近に見る事はあっても、自分自身はまだ経験していないからというのもあるし、西洋医学に頼らずホメオパシーのみで病気を克服するという事も無理だと思えるし。ようするに、バランスのとれた形でホメオパシーとつきあっていけたらいいな、というスタンスです、今のところ。
一昔前までドイツでは、「自然療法士=ホメオパス」だったらしく、その敷居も高かったようです。

今回ラモス先生が紹介してくれたホメオパシーの一派は、人の外見や性格をカテゴライズしていくもので、それはそれはとっても興味深い内容でした。

それはまた次回ご紹介することにしましょう。


今日はラボの総まとめテストがありました。
以前書いたようにこの授業は途中からの参加だったので、テスト勉強はしませんでした。
といっても20問中3問まぐれも含めて合っていたので、「勉強しなくても点数とれた!」という喜びがありました。
そう、これが目的!
せっかく勉強しても期待はずれな点数をとってモチベーションを下げるくらいだったら、そしてそれによってフラストレーションを感じることこそ無駄な事はないという戦略が功を奏したわけ!
先生も「試してみる?」程度の新入生に対する期待薄な態度だったので、それも安心しました。
しかし、同じ新入生のなかにもドイツ語で言うehrgeizig(野心的な・功名心の強い)人達がいる訳で、彼女たちの落胆ぶりといったら・・・、御愁傷様。

そして、勉強を初めて1年になるルーマニア人のリータちゃん。彼女はとっても努力家で、元看護士だったせいかラボ系に関してはかなりの知識があり、いつも自信満々。先生からもお褒めの言葉しかもらう事がなく、いつも高みの見物をしていた彼女、選択問題が苦手だとは言っていたけど、本当に苦手なようで、「もっと質問文をじっくり読みなさい!」と先生に言われてました。せっかくの知識もまちがった解釈による答えですべてが無になってしまう選択問題。落とし穴が多いよなー。
こういうとき、日本人に生まれて良かったなーと思う。
だって、私たち選択問題でほとんどの試験をこなして来た訳だから、否定文に敏感だったり、答えの選び方にも慎重になれるわけ。
ヨーロッパは試験だと論文系が多いのかな・・、ドイツはたいてい論文と口頭試問みたいだけど。
リータちゃんよっぽど悔しかったのか、みんなの前で泣いてました。
一見親切そうでかわいらしい彼女なんだけど、何に対してもちくっとした高慢的態度がいつも鼻についていたの。でも、やっぱり人一倍努力してるという事は認めるわー。
でも、私が話しかけたときに、目を細めて一生懸命理解してあげようという表情を作るのだけはやめてくれ!と言いたい。

さて、後半は感染病の授業が始まりました。
ようやくラボ系の勉強が終わったと思ったら、100ページを超える資料をもとに感染症のお勉強がスタート。どんな感染症がお役所に届け出を出さなければならないものなのか、といった法律に関わる所も含まれていて、取りかかりがいのあるテーマです。
それでもひとつのテーマに関して最初から関わっていけるというのはとってもモチベーションが上がります。
導入部分は衛生学の歴史から。これはアロマセラピストの試験勉強とかなりかぶっている感じ。
16世紀に顕微鏡が発明されて病原菌がいることが発見される。
しかし19世紀になってからようやく衛生に対する臨床的実験が始まって、たとえばSemmelweisは塩素を使って手を洗うことによって産褥の際の死亡率を低下させた。
パスツールは微生物の種類が発酵の良否を決定する事を確かめて、低温殺菌法を提唱したり(今でもドイツではこれをパスツール殺菌法と呼ぶ)、ワクチンを開発したり。
時を同じくしてロバート・コッホが、初めて病気の原因としてバクテリアを同定した。
といった歴史をかじり、

次に具体的な衛生方法:
衛生環境を整えるという事は、私たちが自宅で診療所を開く際にとても大切なことであるため、ベルリンにあるロバート・コッホ衛生研究所に衛生方法の資料を送付してもらうことを勧められました。

衛生方法:殺菌消毒、煮沸消毒、紫外線、フェノール、酸化剤、ハロゲン、アルデヒドを使った消毒方法などの特徴を学びました。

身近なテーマだったせいか、生徒たちのプライベートな衛生方法に話がそれたりして、とてもイライラしました。
しまいには自分の子育て面での衛生方法についてまでべらべらと話をする人がおり、「興味ないんだけどなー」というイライラはさておいて、その時間にわからない単語を調べたりできる!とマイナスな感情よりもプラスに物事をとらえられるいい訓練となりました。

ふーっ!今週も終わった!

疲れたー