未曾有の大震災から三年…。

映画「幸せの黄色いハンカチ」で使われた本物の黄色いハンカチが風になびいてました。
たくさんの人の手で、被災地の復旧作業は進んでいますが、未だ減らない仮設住宅の数が、その困難さを示しています。

伐られてしまった「奇跡の一本松」
その向こうには、かつて千昌夫さんがオーナーだったホテルが見えました。
大震災発生後、1年半経ったある日、町の皆で協力して集めた義援金を陸前高田市の神社へ届ける大役を買って出ました。
親書と目録等を携え、仲間と共にお約束していた神社を訪問しました。
被災された方々から直接、当時の切実なお話を伺う機会が得られました。

印象的だったのは、あの閉塞感の中、お会いした誰もが地元愛に溢れ、諦めてなどいなかった事です。

そして、昨日まで縁も所縁も無かった東京の皆さんと繋がれて、東北にエールを送って貰えている事がどれ程嬉しかったか…と涙ではなく笑顔で感謝されて、こちらが泣きました。
三年前の大震災はまだ、終わってなどいません。
これからも、出来る限り協力して参ります。
がんばっぺし、陸前高田市!

映画「幸せの黄色いハンカチ」で使われた本物の黄色いハンカチが風になびいてました。
たくさんの人の手で、被災地の復旧作業は進んでいますが、未だ減らない仮設住宅の数が、その困難さを示しています。

伐られてしまった「奇跡の一本松」
その向こうには、かつて千昌夫さんがオーナーだったホテルが見えました。
大震災発生後、1年半経ったある日、町の皆で協力して集めた義援金を陸前高田市の神社へ届ける大役を買って出ました。
親書と目録等を携え、仲間と共にお約束していた神社を訪問しました。
被災された方々から直接、当時の切実なお話を伺う機会が得られました。

印象的だったのは、あの閉塞感の中、お会いした誰もが地元愛に溢れ、諦めてなどいなかった事です。

そして、昨日まで縁も所縁も無かった東京の皆さんと繋がれて、東北にエールを送って貰えている事がどれ程嬉しかったか…と涙ではなく笑顔で感謝されて、こちらが泣きました。
三年前の大震災はまだ、終わってなどいません。
これからも、出来る限り協力して参ります。
がんばっぺし、陸前高田市!
鉄ちゃんでも無いのに、鉄道ネタが続きます。
北海道帯広に「幸福」と「愛国」と云う名の有名な駅がありました。
改めて見ると凄い名前ですね…
既に廃線となりましたが、未だ訪れる観光客向けにお土産屋さんが開いているとか。
その「愛国から幸福ゆき」の切符を求めて、全国から人々が押し寄せたのは、昭和と云う時代になります。
ブームだった1973年から四年間で、この切符が1000万枚も売れたそうです。
1987年に廃線になりましたが、今も売店では「愛国から幸福ゆき」の切符が
買えるそうです。
ほぼ時を同じくしてsh!geは、こんな切符を買って持っていました。
所謂、硬券と云うヤツです。

これを見ただけで、何処の何線か判っちゃう、鉄分の濃い人も居るのでしょうね。
母の育った海辺の町(村?)に程近い所に、恋路駅がありました。
こちらは2005年に廃線になりましたが、比較的最近ですね。
当時、子どもなりに「恋路」について想像をするのでしたが、オクテでオボコな男の子には難しいお題でした(笑)
今も良く分かりません…

たまたま、キリの良い番号だったのも、良かったかも。
お仕舞い。
北海道帯広に「幸福」と「愛国」と云う名の有名な駅がありました。
改めて見ると凄い名前ですね…
既に廃線となりましたが、未だ訪れる観光客向けにお土産屋さんが開いているとか。
その「愛国から幸福ゆき」の切符を求めて、全国から人々が押し寄せたのは、昭和と云う時代になります。
ブームだった1973年から四年間で、この切符が1000万枚も売れたそうです。
1987年に廃線になりましたが、今も売店では「愛国から幸福ゆき」の切符が
買えるそうです。
ほぼ時を同じくしてsh!geは、こんな切符を買って持っていました。
所謂、硬券と云うヤツです。

これを見ただけで、何処の何線か判っちゃう、鉄分の濃い人も居るのでしょうね。
母の育った海辺の町(村?)に程近い所に、恋路駅がありました。
こちらは2005年に廃線になりましたが、比較的最近ですね。
当時、子どもなりに「恋路」について想像をするのでしたが、オクテでオボコな男の子には難しいお題でした(笑)
今も良く分かりません…

たまたま、キリの良い番号だったのも、良かったかも。
お仕舞い。
所謂、携帯電話なるモノが一般的になって、たったの四半世紀(25年)なんですよね。
1985年以降、高速道路上でのみ使えた、車載電話器が最初に見知った移動式電話でした。
1985年にNTTがショルダーフォンと云う、自衛隊が使う通信機(トランシーバー)と似たスタイルの物を発売しましたが、重量は約3キロと重く、広辞苑サイズの本体上に固定電話の受話器が付いていました(笑)
当時、コンナモノを持っていたのは、893か怪しい不動産屋だけで、通話料も10秒で10円とかなり高額だったと思います。
携帯電話が今のサイズになったのが、90年代になってからですので、その進化には驚きを覚えます。
この拙いブログの読者様=Kさんも僕と同じくガラケー愛好者で、今や日本でも僅かしか居ないんじゃないかと謳われている、絶滅危惧種の妖怪同士です。
この先、いつかはスマホに変えねばならないが…今はガラケーで充分だし、何の不足も不便もありゃしません(爆)

富士通が持てる技術の全てを注ぎ込んだガラケーがコイツです(笑)
ガラケー型スマホ!?を目指していたとか、何とか…
壊れかけの携帯に掛けられてた、故障保証サービスの権利を行使し、使用モデルに近い製造年のガラケーから数点、候補が挙げられ選びます。
先代とほぼ、同年代のガラケーなのに、内外共に進化していて驚かされます。
画面が3D!
目がチカチカします(笑)
先日、中高生らしき若者が
「あれって、ガラケーじゃね?」
「マヂ?本物?」
「リアルで初めて見た!」
みたいなリアクションをしてました。左手でメールを打つ姿を撮っていた気がします。
珍獣扱いかよっ!(爆)
1985年以降、高速道路上でのみ使えた、車載電話器が最初に見知った移動式電話でした。
1985年にNTTがショルダーフォンと云う、自衛隊が使う通信機(トランシーバー)と似たスタイルの物を発売しましたが、重量は約3キロと重く、広辞苑サイズの本体上に固定電話の受話器が付いていました(笑)
当時、コンナモノを持っていたのは、893か怪しい不動産屋だけで、通話料も10秒で10円とかなり高額だったと思います。
携帯電話が今のサイズになったのが、90年代になってからですので、その進化には驚きを覚えます。
この拙いブログの読者様=Kさんも僕と同じくガラケー愛好者で、今や日本でも僅かしか居ないんじゃないかと謳われている、絶滅危惧種の妖怪同士です。
この先、いつかはスマホに変えねばならないが…今はガラケーで充分だし、何の不足も不便もありゃしません(爆)

富士通が持てる技術の全てを注ぎ込んだガラケーがコイツです(笑)
ガラケー型スマホ!?を目指していたとか、何とか…
壊れかけの携帯に掛けられてた、故障保証サービスの権利を行使し、使用モデルに近い製造年のガラケーから数点、候補が挙げられ選びます。
先代とほぼ、同年代のガラケーなのに、内外共に進化していて驚かされます。
画面が3D!
目がチカチカします(笑)
先日、中高生らしき若者が
「あれって、ガラケーじゃね?」
「マヂ?本物?」
「リアルで初めて見た!」
みたいなリアクションをしてました。左手でメールを打つ姿を撮っていた気がします。
珍獣扱いかよっ!(爆)











