いつもありがとうございます。ツイてる酔い子です♪

あたしの父は、昭和6年生まれです。

この父親、飛行機✈
特に零戦とかの戦時中の飛行機が大好き

飛行機乗りになりたかったらしい

ま・終戦の年14才だった父は、そんなチャンスも無いままだったんですけどね。

それに、チャンスがあったとしても
俺は馬鹿だったから乗れんかったと…

父親のコンプレックスは
数学が苦手

でもね、プライドからなのか
大人になっても勉強はしてて…

あたしからしてみたら本当に賢い父親で

小学生の時から、国語の理解力が高かったらしく
難しい漢字もよく読めた。

当時の先生たちは、こんな馬鹿に読めるはずが無いとばかりにカンニング等を疑ったらしいショボーン

あたしからしたら、賢くって仕事もでき
何でもよくわかってる父

でも…ひとつとんでもない苦手があると
そんな評価だったのかな

他の昭和一桁生まれがどういう感じかは
わからないから何とも言えないけれど

父は、ちょっと出来ないことにコンプレックスを持つタイプなのね。

でも…あたしは出来ることの方が多いように思うんだけどな

で…………今日は

「お父さんは、そんな子供の頃から自他共に認められるほどの国語力があってラッキーだったと思うよ。人より抜きんでる物があるなんてなかなか見つからない人の方が多いと思うよ」

なんて会話をはさみながら傾聴してきたのだが

頑固な父は、なかなか頭に浸透しない。

だから、その内また同じ話を始めるんだろうな

その時は、又何度でもゆっくり聴いてあげて

父の心が少しでも軽くなるといいんだけどねルンルン


そうそう、あたし達が子供の頃
あまり、かまってやれなかったと
今の親からしたら全然かまってやれなかったと

言うのよ(^◇^;)

でもね~

あの頃のあたし達の世代は
どこの親も忙しくって
そうそう遊びに連れてってなんてもらえなかった時代だと思うんだよね

少なくとも、あたしが育った地区は下町で
みーんな似たような環境だったと思う

それでも、あたし達は色んな所へ連れて行ってもらったと思ってるし

愛情いっぱいもらって育ったと思ってるよ
と伝え…
ましてや、あたしの子供たちは
小さな頃にシングルになってしまったけれど
大黒柱になってしまい
疲れてるあたしに代わり

ホントに色々連れてってくれて
感謝しかない

と…思ってるんだよと…………

これからも伝えていこう。

伝える事が出来て
それも又…感謝しかないわね






今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます~(๑'ᴗ'๑)