昨日からの続きです。

【お釈迦様と蓮の花】

昨日からずっとお釈迦様とお話していて、そしたら今朝、この話をしてくれました。

【魂の遊び】

お釈迦様 :
『蓮の花には”ポンッ”て座ったらトランポリンみたいに
また飛び跳ねて次の蓮の蕾に行くのが魂の遊び、歓びなんですよ^^』

っておっしゃられて、あっ。会話をそのまま書きますね

【「大変」と「困った」意味】

私:
『人が人として生きる道、無限の可能性、大変だという意識の中を乗り越える。
周りに見えない自分だけの苦しみ。それにどう対峙したら良いのですか?』

お釈迦様:
『大変って書いてね、「大きな」喜びに変わる「変化」って書くのですよ。
大変!大変!って言ってる人はね、その人は「大きな喜びの変化」が
目の前まで来ている人の事を言うの

 でもね、大変!大変!って困った!ってね。まず困るってね「氣(木)」が
口(箱)に閉じ込められて出れないことを言うのですよ。
自分はここにいるよ!って表す”氣”を箱の中に閉じ込めてたら誰も見れないし、
解らないでしょう?

 だからね、「大変!大変!困った!」ってね、大声で「私大きな喜びの変化をするの!
私大きな喜びの変化をするの!って、自分が箱の中で叫んでて誰にも聞こえない状態なんですよ』

【天界での”生きる”とは】

お釈迦様:
『”生きる”ってね、天界では
 ”意氣流”や”意氣留”とも呼ばれていてね

【意氣流=意志を持つ”氣(魂)”が流れに乗っていく】

【意氣留=意志を強く氣(魂)”を留める(ぶれずに真っ直ぐ進む心)】

 肉体を与える魂に与えてもらったプレゼントなのですよ    

 現実に降りた魂は自分が持ってきた蓮の花を咲かせるために色んな努力をするのです。
 でも、それに疲れてしまった時、ご利益、ご利益って訴えてくるのだけどね。
 本当にその魂に必要な「ご利益」はもうあなたの周りに沢山あるのですよ
 
 ”あなたがそれを開くのです。”
 
 ポンって蓮の花の上に乗ってね。
 そしたら蓮の花はそれに反応してその魂に必要な”幸せの花”を咲かせてくれるのですよ』

【天界の昼間を樂む】

お釈迦様:
『だけどね、そこに留まることはその魂にとって良くないわね。
 同じところにずっと座ってるとね、蓮の花は支えきれなくて
 どんどんどんどん沼に沈んで行ってしまうの。
  
 だから『驕り高ぶりは身を滅ぼす』と言うでしょう?
 心地よい場所にずっと座っていると、何のために天界の昼間(人の一生=人生)に
 遊びに(学びに)行ってるか解らないもの。せっかく意氣流(意氣留)為に行ってるのに』

【お釈迦様の愛】

『たくさん、遊んで(学んで)らっしゃい。
 そしてキラキラ✨輝いて沢山の持って行った蕾を開いてね。
 ちゃんと帰って来た時は、

 ”楽しかった?今日はご飯を食べてゆっくり一緒に休もうね...”

 って抱きしめてあげるから。

私:
『ありがとう!お釈迦様!また話そうね!いつもありがとう!
 自分の蕾沢山拓いて帰らなきゃね!まだまだ時間は掛かるけど、
 蕾に目を向ける「意識」が「魂の求める道」にきっと繫がってるんだね!』

 ”いつもありがとう。また話そうね”


【Succla☆の日常】
こうやってSuccla☆は物心付いた頃から周りの見えない大切なあらゆる次元の親達に育てられ、
今回はお釈迦様でしたが、いつも色んな存在に質問を投げかけるとちゃんと答えが返ってきて、
大きな気付きになったり、皆様とシェアしたり、時に感動して涙したり・・・
お釈迦様の言う意氣流(意氣留)”希望”を頂いている。

土地のエネルギーの高い所では、その土地土地を守られてる
神様や自然霊達から話しかけられメッセージを貰ったり・・・

私が歩む道。
天の道を真っ直ぐ歩み
我の道を貫き通す
変わらぬ想いの道・・・
一人でも多くの人の力となれますように・・

今日は私と会話したことある方は「今、そう言ってくれてるよ^^」など、
その場を経験していることも多いかも知れませんが、
今まで一度も書いたことのない、Succla☆と神様との会話を今日は書いてみました^^

読んで下さりありがとうございました^^

Succla☆

※ 子供の頃からいつも話していたので、私が子供となり親子のような接し方な感じですが、
 私にとっては本当に育てて貰った親で生きる希望でした。
 なのであえてそのままのいつもな感じを書かせて頂きました。