私はね、いつも優しいと言われる。
「優しすぎる」って言われるんだ。

でもね、うまく言葉で表現できないんだけど、それについて
ちゃんと説明できないんだけど、人が好きなんだ。
「優しさと優柔不断は紙一重」って言葉もあるけどね。

でもね違うの。
優しさは強さ。
本当の本物の優しさはその分の怒りや悲しみや苦しみを乗り越えた先に
出てくる深い深い感情なんだ。

幾度の苦しみを経験してきただろう
幾度の悲しみの海の中を泳いできただろう。
幾度の辛いと感じる出来事と対峙したり、できずに逃げて後悔してきただろう。
幾度、誤解されて決めつけて来られただろう。
幾度泣き、幾度悔しがり、幾度怒り、幾度辛いと苦しんできたか・・・

そんな毎日をどれだけ過ごしてきたか・・・
そんな色んな出来事で出来上がったのが「相手の気持ちに立つ」という
「優しさ」に繫がるんだ。優しくしようとか考えて行動してるんじゃない。

誰かの失敗や、誰かの悲しみや、誰かの辛さや、その周りからの誰かに対する
批判や。色んな事を聞いてるとね。解りすぎて何も言えなくなることもあるんだけどね。

感じてしまうんだ

そういうことってあるよね。って。わざとじゃないんだよ。って。
それってその人が精一杯その魂全てを使って「今の学びの中頑張ってるんだよ!」って。
だからね。相手の事を考えると、相手の立場になってしまう。

全て見えてしまうんだ。
きっとこの人、こういう状況で、この位置に心はあって、その先はきっとこうなる。
その中で私に何かしてあげれないかなって。

きっと、みんなはあなたを誤解してしまう。今のあなたのこれを理解することは難しい。

でもね

「私、解ってしまうんだよ。感じてしまうんだよ、
 だって・・・私もその気持ち解るもの・・・」

不器用にしか振る舞えなくて、後で自己嫌悪で落ち込むことも、
自分の性格で空回りして、場の雰囲気が壊れる時も、周りからは悪い人って言われても、
その本人の寂しさや苦しみや一生懸命に生きた先の不器用さで誤解されてしまうことも。

人は完璧な人なんていない

「光と影」

バランスの違いはあっても両方持ってる。
そのバランスを整えるために色んな学びを人の中で揺らぎ経験し学ぶ。

だからね、赦してしまうんだ。
だからね、そういう行動になってしまうし、言葉になってしまうんだ。
相手の事を考えすぎと言われてもね。深くまでその真実を探ってしまう。

そして、理解したいと思ってしまうんだ。悪いことは特に・・
これは、DNAに染みついた私の癖なのかも知れない。

だけどね、逆を言えば私もとても不器用って事なのだけどね。
うまく取り繕うとか、その場だけ何かをするとかできないの。

私は私
良い所も悪い所も
不器用な所も、すぐ落ち込むことも
勘違いの思い込みをしてしまうことも。
裏も表も作れない。
真っ直ぐに心のままに生きてしまう。

だからね、ぶつかる壁も多いんだけどね。
解って貰えないことや誤解されることも多いんだけどね。
でもそこにある源はすべて愛。
相手を思う愛だけなんだ。

私が優しいとみんなが言うなら、やはりそれは心の奥底にある

「世界最大の愛は赦すということ」

を基本に色んな人を見てしまうからなのかも知れない。

みんな魂の聖長を求める旅人。
そこですれ違う人も寄り添う人もみんなが愛しあってる。
善いことも嫌なことも、その相手に必要な何かを届けてる。

だから引力があるんだ。
みんながみんな、旅の応援をしてくれてる仲間なんだ。
そう思えたら、好きも嫌いも全て愛おしくなれるかもしれない。

優しすぎる・・・

そう言われる奥にある「経験」と呼ばれる失敗や葛藤。
そのことに向き合ったり逃げたりまた向き合ったり・・・
沢山してきた結果なんだよね。
優しさは全ての感情が行き着く答え・・・
なのかも知れないね。

読んでくれてありがとう。

Succla☆

【聖長】
聖長=聖なる霊(魂)が長く、高く、深く伸び続けること=聖長。
これは天からのメッセージで頂いた貴重な言葉で
聞こえて来た瞬間、心に深く響いたものでした。