【「生きる」か「殺されるか」究極の選択の中で「生きたい!生きて幸せになるんだ!」と思った13歳の夏・・・】
体中は赤、青、黄のあざだらけ。てんとう虫と呼ばれた日。
「食べる」、「お風呂」、「着替え」を与えられず、お腹を空かせて
道路に落ちてる石を舐め唾液で生活していた身体は骨と皮だった。
お前なんて死んでしまえ
お前なんて必要ない
お前なんて産まれて来なきゃ良かった。
毎日聞いていたBGM
初めて泣きながら布団の中で神様に語り掛けた・・
ねぇ、本当に生れて来なきゃ良かったの?本当に必要無いの?
神様はその答えをくれるかのように答えを見せてくれた。
「不幸は不幸じゃないんだ、その人が乗り越えられるからこそ与えられた試練」
その言葉を目にしてそこから生きる勇気を貰った 幼稚園時代。
今考えれば、よくそんな言葉を理解できたと自分でも感心する。
そこから何度「神様」と呼んでいた存在に救われて生きて来たか。。
いつしか天涯孤独だった私を支えてくれる「声と映像」で導かれた日々は
現実には苦しく、「神様との会話」は喜びと気付きとそして悟りそのものだった。
孫の手が折れるまで殴られ、ホッチキスで指を止められ泣き叫んだあの日。
抜け出す手段が見つけられず「生きるとは」を考えさせられた小学校低学年。
「息してるだけで幸せだよね。それだけで幸せ」
と感じた小学校4年生。
円形脱毛症の中、自殺を決意し、その中で到達した気付き・・
カッターで手首を切る手を止めた。自分を心から恥じた。
生きたくても生きれない人がいる!!自分は何をしているんだ!!
生きなきゃ!!そう痛感した小学校4年生。10歳の秋。
13歳の夏・・・
存在の必要性が完全に無くなった私に残されてたのは
「生きる」か「殺されるか」のどちらかだった。
そして・・・
私は「生きる」を選択した。
13歳。新幹線の入場券しか買えない私は人生を掛けて飛び乗った。
一度乗りたかったグリーン車で東京へと向かった。
東京駅。改札
私「すみません、寝ている間に荷物が無くなってて」
制服姿の私はあからさまに怪しかったはず・・・なのに
駅員「どこまで行きたいの?」
何も言わず、行先までの切符をくれて通してくれた。
あの駅員さんは今でも神様だったのでは無いかと思う。
いや、人間だけど、本当に私の人生を変えた一瞬だった。
無一文の私が選択した人生。手のひら10円の生活。
電信柱に捨ててある二層式の洗濯機を担いで持ち帰った14歳の冬
四畳半、トイレ共同風呂なし。ベニヤ板一枚のドア
目の前には開かずの扉。そして朝になると鶏が廊下を走る
台所の水道しかない蛇口をひねると床から水があふれ出し、
公園の捨ててあるマガジンで吸水して捨てる毎日・・・
すべてはそこから始まった。
13歳の私は年をごまかし、朝の7時から5時まで毎日マクドナルドでバイト。
夕方6時から11時までは地元の中華料理屋でバイト。休みの日は本の製本で
朝早くから夕方まで日払いのバイトをして15歳でとうとう過労で倒れて入院。
病院代を払えない私は自分で点滴を抜き自己退院。
白血球18,000あった私は激痛の中、お腹を抱えてそのままバイトへ。
痛みを隠し気力で乗り切った。あの冷や汗を忘れない。そんな日々だった。
でも、生きるんだ!!を選択した。
電信柱に二層式のボロボロの洗濯機が捨ててあった。
買えるお金が無かった私はそれを担いで自宅の廊下の先の出入り口にある
洗濯機置き場に並んでる洗濯機の隣に置いた。
「ありがとう、ありがとう」と言いながらその洗濯機を丁寧に洗った。
二層式なんて使ってる家はもう無くなってた時代。
物を大切に愛を言葉をかけ大切にすることを学んだ。
そしてピカピカになった洗濯機。
電源入れたら入らなかった・・・壊れていたのだ。
私はピカピカになった洗濯機をもう一度担ぎ元の場所へと運んだ。
懐かしい・・・私の原点。
「生きる」を選択した日から「無限の可能性」の気付き、実行し
何事にもチャレンジし続けた人生。
自分の先見力を信じたあの日。
先見力は時代と共に現実となった・・・
ふと、自分の原点を思い出していた。
13歳の夏。
生きるを選択して本当に良かった。
今まで出逢った人たちへ・・・
今まで出逢ったモノ達へ・・・
全ての存在達へ
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
導き今も支えてくれている見えない存在達へ
本当にありがとう。
真実を知る目を、本質に気づく目と心を
お金で買えない優しさや勇気や希望やその全てをこの経験で
教えてもらい、与えて頂きました。
私はこれからもこれを大切に、人だけでなく
生きとし生きる存在達との橋渡しとして、肉体を卒業された方々が
想う家族や大切な人へのメッセージ。
これからも使命としてお役目として
何より生きている感謝として、尽力します。
この命にありがとう、
生きてる全ての存在達へ
側にいてくれて ありがとう
合唱
Succla☆
これは去年のクリスマス前後、Facebookをあげようと考えてたら、
Succla☆の原点について深く考えることがあり、
そんな中、私の産まれてきた意味について考えていて、
つい書いてしまいました。
まだこれは序章にしか過ぎないスタートの話のみですが、
読んでくれてありがとう。
今日は明日から行く愛媛・・・私が生まれた場所。
産まれただけの場所。
何年ぶりに行くのか、お爺ちゃんとお婆ちゃん、父親が眠るお墓へと墓参り。
ずっとずっと行きたかった・・・。
お婆ちゃんと父親のお骨は私が納骨した。とても忘れられない思い出と共に。

体中は赤、青、黄のあざだらけ。てんとう虫と呼ばれた日。
「食べる」、「お風呂」、「着替え」を与えられず、お腹を空かせて
道路に落ちてる石を舐め唾液で生活していた身体は骨と皮だった。
お前なんて死んでしまえ
お前なんて必要ない
お前なんて産まれて来なきゃ良かった。
毎日聞いていたBGM
初めて泣きながら布団の中で神様に語り掛けた・・
ねぇ、本当に生れて来なきゃ良かったの?本当に必要無いの?
神様はその答えをくれるかのように答えを見せてくれた。
「不幸は不幸じゃないんだ、その人が乗り越えられるからこそ与えられた試練」
その言葉を目にしてそこから生きる勇気を貰った 幼稚園時代。
今考えれば、よくそんな言葉を理解できたと自分でも感心する。
そこから何度「神様」と呼んでいた存在に救われて生きて来たか。。
いつしか天涯孤独だった私を支えてくれる「声と映像」で導かれた日々は
現実には苦しく、「神様との会話」は喜びと気付きとそして悟りそのものだった。
孫の手が折れるまで殴られ、ホッチキスで指を止められ泣き叫んだあの日。
抜け出す手段が見つけられず「生きるとは」を考えさせられた小学校低学年。
「息してるだけで幸せだよね。それだけで幸せ」
と感じた小学校4年生。
円形脱毛症の中、自殺を決意し、その中で到達した気付き・・
カッターで手首を切る手を止めた。自分を心から恥じた。
生きたくても生きれない人がいる!!自分は何をしているんだ!!
生きなきゃ!!そう痛感した小学校4年生。10歳の秋。
13歳の夏・・・
存在の必要性が完全に無くなった私に残されてたのは
「生きる」か「殺されるか」のどちらかだった。
そして・・・
私は「生きる」を選択した。
13歳。新幹線の入場券しか買えない私は人生を掛けて飛び乗った。
一度乗りたかったグリーン車で東京へと向かった。
東京駅。改札
私「すみません、寝ている間に荷物が無くなってて」
制服姿の私はあからさまに怪しかったはず・・・なのに
駅員「どこまで行きたいの?」
何も言わず、行先までの切符をくれて通してくれた。
あの駅員さんは今でも神様だったのでは無いかと思う。
いや、人間だけど、本当に私の人生を変えた一瞬だった。
無一文の私が選択した人生。手のひら10円の生活。
電信柱に捨ててある二層式の洗濯機を担いで持ち帰った14歳の冬
四畳半、トイレ共同風呂なし。ベニヤ板一枚のドア
目の前には開かずの扉。そして朝になると鶏が廊下を走る
台所の水道しかない蛇口をひねると床から水があふれ出し、
公園の捨ててあるマガジンで吸水して捨てる毎日・・・
すべてはそこから始まった。
13歳の私は年をごまかし、朝の7時から5時まで毎日マクドナルドでバイト。
夕方6時から11時までは地元の中華料理屋でバイト。休みの日は本の製本で
朝早くから夕方まで日払いのバイトをして15歳でとうとう過労で倒れて入院。
病院代を払えない私は自分で点滴を抜き自己退院。
白血球18,000あった私は激痛の中、お腹を抱えてそのままバイトへ。
痛みを隠し気力で乗り切った。あの冷や汗を忘れない。そんな日々だった。
でも、生きるんだ!!を選択した。
電信柱に二層式のボロボロの洗濯機が捨ててあった。
買えるお金が無かった私はそれを担いで自宅の廊下の先の出入り口にある
洗濯機置き場に並んでる洗濯機の隣に置いた。
「ありがとう、ありがとう」と言いながらその洗濯機を丁寧に洗った。
二層式なんて使ってる家はもう無くなってた時代。
物を大切に愛を言葉をかけ大切にすることを学んだ。
そしてピカピカになった洗濯機。
電源入れたら入らなかった・・・壊れていたのだ。
私はピカピカになった洗濯機をもう一度担ぎ元の場所へと運んだ。
懐かしい・・・私の原点。
「生きる」を選択した日から「無限の可能性」の気付き、実行し
何事にもチャレンジし続けた人生。
自分の先見力を信じたあの日。
先見力は時代と共に現実となった・・・
ふと、自分の原点を思い出していた。
13歳の夏。
生きるを選択して本当に良かった。
今まで出逢った人たちへ・・・
今まで出逢ったモノ達へ・・・
全ての存在達へ
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
導き今も支えてくれている見えない存在達へ
本当にありがとう。
真実を知る目を、本質に気づく目と心を
お金で買えない優しさや勇気や希望やその全てをこの経験で
教えてもらい、与えて頂きました。
私はこれからもこれを大切に、人だけでなく
生きとし生きる存在達との橋渡しとして、肉体を卒業された方々が
想う家族や大切な人へのメッセージ。
これからも使命としてお役目として
何より生きている感謝として、尽力します。
この命にありがとう、
生きてる全ての存在達へ
側にいてくれて ありがとう
合唱
Succla☆
これは去年のクリスマス前後、Facebookをあげようと考えてたら、
Succla☆の原点について深く考えることがあり、
そんな中、私の産まれてきた意味について考えていて、
つい書いてしまいました。
まだこれは序章にしか過ぎないスタートの話のみですが、
読んでくれてありがとう。
今日は明日から行く愛媛・・・私が生まれた場所。
産まれただけの場所。
何年ぶりに行くのか、お爺ちゃんとお婆ちゃん、父親が眠るお墓へと墓参り。
ずっとずっと行きたかった・・・。
お婆ちゃんと父親のお骨は私が納骨した。とても忘れられない思い出と共に。
