■李舜臣(イ・スンシン)、郭再祐(クァク・ジェウ)を振り返る■
パク・ファンム・ナクソンデ研究所研究院とハ・ヨンフィ・テドン古典研究所教授は
それぞれ壬辰の乱の英雄李舜臣、郭再祐将軍と関連通念を覆す解釈を出す予定だ。
パク研究員は「李舜臣、帝国と植民地の間で」という論文を通じて「李舜臣将軍を
『民族の守護者』『東洋のネルソン』と作り上げたのは日本」とし「日清戦争を控えた
1892年、日本の現役陸軍大尉である柴山尚則が書いた『李舜臣伝』が李舜臣を
世界史の名将に仕立てた母胎だった」と主張した。
彼は「3.1運動以後、文一平(ムン・イルピョン)、申采浩(シン・チェホ)、
李光洙(イ・グァンス)らがそれぞれ李舜臣に関する論文などを発表した」とし
「李舜臣を『救国の英雄』と表したのは日中戦争以後の総動員体制で、植民地朝鮮と
帝国日本の間の内鮮一体と統合を強調する論理として活用された」と主張した。
ハ教授は「火旺山城(ファワンサンソン)の記憶」という論文を通じて「1597年、
加藤清正の侵略を郭再祐将軍が慶南昌寧火旺山城で塞いだという記録は実在より
誇張されている」と主張した。彼は「もともと火旺山城は戦争がない疎開先にす
ぎなかった」とし「137年の歳月が経った1734年に出版された
『倡義(チャンイ)録』を通じて火旺山城の記憶は誇張され始めた」と明らかにした。
2006.06.20 12:33:36
中央日報 日本語版
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=76984&servcode=400§code=400