元来ファミリーヒストリーは好きではない。祖先の血統、身分、地位、財産を自慢げに誇る姿勢が気に入らぬからである。

今回、沖縄関連ちゅうことで見たのだが、10分ほどで気分が悪くなり、チャンネルを変えた。ファミリーヒストリーに関する批判は全体を見たものでなく、10分間だけちゅうことをお断りしておく。

             

 

今回は俳優の北山一輝がゲストで、母方が沖縄の与那城氏の出であるちゅうことであった。粟国島の士族で、第一尚氏王朝建国の功労者、護佐丸に繋がる家系であることが明かされた。番組では与那城を「よなしろ」と発音した。現在一般的に沖縄人の名前としてこの名前は よなしろと呼ばれるのが一般的である。しかし、琉球王朝時代王家に使える士族として よなしろ と呼ばれたとは考えられぬ。伝統的には ゆなぐしく(ぐすく とも)であろう。

 

ならば、番組では歴史上の祖先の与那城氏のことを指す時は ゆなぐしく、現在の北山に連なる子孫のことを指す時には よなしろと 使い分けるべきであったと思う。

 

              

 

沖縄人の名前については微妙な問題が存在する。植民地支配した朝鮮や台湾では創氏改名などの政策が取られたが、沖縄では特にそういう措置はなく、金城(かなぐしく)が いつの間にか きんじょう に、玉城(たまぐしく)が たまきに されてしまうた様である。私の考えであるが、廃藩置県、琉球処分の時、本土から役人が大挙してやってきて、戸籍整備に際して、彼らが読める読み方に変えたからではないかと思う。とにかく沖縄人の名前については、我々本土の人間の理解と共感が必要である。その意味で、よなしろ一辺倒は 著しく配慮に欠けたものと言うべきであろう。

 

また番組では、拝所(うがんじゅ)のことを はいじょ と読んだ。拝所(はいじょ)ちゅうのは、本土の神道で行われる呼称で、沖縄では使わぬ言い方である。昔、比嘉(ふぃじゃ)バイロン氏から那覇の街を案内してもらうたことがあって、沖縄の伝統文化、宗教文化が開発の陰でどんどん失われよる事実を指摘しながら、ちょっとした木立ちを見つけては、あれも うがんじゅ これも うがんじゅ と 教えてくれたことを思い出した。

 

拝所(はいじょ)は天皇制に連なる本土の神道の呼び方であり、沖縄の宗教文化を否定、抹殺するものである。NHKのプロデューサーやアナウンサーに、例えそのような悪意がなかったとしても、よく調べずに、はいじょで いいんじゃないの? ぐらいのノリで処理されたことに憤りを覚える。これらの連続パンチで気分が悪くなり、10分でチャンネルを変えたわけである。

 

                

 

戦争に関する記録などNHKは沖縄に関して良心的な報道をしてきた。その功績は認めたい。
しかし、言語文化、つまり「標準語」「方言」の問題と、ファミリーヒストリーの番組制作の二点に看過できぬ問題がある。

 

ユネスコは沖縄諸語を、独立した体系を備え、保護が必要な「言語」と認定した。忘れられ、滅びゆく方言ではない。沖縄語存続のための方策が必要な言語ですよとの警告が出されたちゅうことである。これに反して、NHKは伝統的に方言撲滅、日本全国標準語化の体質を持つ。最近は露骨にそれを表すことは減ったが、無意識の中に存在する。克服は難しかろう。沖縄語での積極的な番組作りが望まれる。

 

先祖の数は2の乗数に比例する。遡ればさかのぼるほど先祖の数は膨大な数になる。その中には成功した人もおれば、失敗した人もおる。地位の高い人もおれば、低い人もおる。つまり、武士、貴族もおれば、賤民、被差別民もおるわけである。三代続く分限者はおらん ちゅう言葉がある。数百年続く家門は珍しく、普通の家は興亡が激しいのである。

 

番組は特定の先祖の功績を称賛する傾向がある。多くの場合、武士、軍人、地主などの富、権力を持つ人である。これが自慢話に聞こえる原因である。持ちあげるのはほどほどにした方がいい。

 

護佐丸

 

財前直美の回で、中国戦線に従軍した祖父の話が出た。中国軍に包囲され絶体絶命の時に、祖父が放った迫撃砲弾が中国軍に命中し、味方の脱出を助けたちゅう内容であった。助かったのはいいとしても、それによって中国人を殺したのである。誇らしい称賛で埋めつくすのには耐えられんやった。明らかにこの番組は異常である。

阿麻和利

 

護佐丸、阿麻和利(あまわり)の話に戻そう。

護佐丸は中城(なかぐしく)に拠点を置き、勝連城(かっちんぐしく)の阿麻和利を牽制した。護佐丸は建国の功臣、阿麻和利は海外貿易もするなど野心家であった。ある時阿麻和利は王に、護佐丸を讒言した。疑いをもたれたことが不本意として護佐丸は自害した。阿麻和利がその機に乗じて謀反を画策した。阿麻和利に嫁いできた王の娘、百度踏揚(むむとぅふみあがり)はそれを察知し、父王に文で知らせた。討伐軍が来ると、彼女は護衛、大鬼城(うふうにぐしく)に負われて脱出に成功した。

 

中城は「中城シューライ節」でおなじみ。中城の麓には伊舎堂村があり、国道沿いに琉歌の歌碑が立つ。

 

うむ(思)ゆらば 里前(さとぅめー) 島 とぅ(尋)みてぃ いもり 

                         島や 中城 花ぬ 伊舎堂                       私を想うてくれるなら 私を訪ねてきてください。私の村は 中城の麓 花の咲く 伊舎堂村ですよ。

 

                                                 勝連城

 

勝連城の麓に 浅瀬で潮の流れの速い海があり、沖の島に渡りにくい難所を唄うた「勝連節」で知られる。

 

かつぃりんぬ 島やヨ ハリ 通いぶ(欲)しゃヨ  エイヨ  あしがヨ