青年時代関西で暮らした経験のある私には、関西の言葉についてある程度聞く耳があります。

「おちょやん」で感じたもう一つの疑問は、大阪言葉の変容でした。それも伝統と文法を無視した暴力的な変容です。

 

言葉は時代や社会関係によって変わっていくものです。その社会の内在的な要因による変化や、言語慣習や文法に沿うた変化は当然あってしかるべきことです。交通やコミュニケーションの発達で地域の言葉同士が相互に影響し合うことも当然のことです。しかし一方的支配的に、ある地域の言葉が他の地域の言葉に文法破壊を伴う影響を与えるならば、見過ごすわけには行きません。

 

                         

 

ここでは ① 否定の過去形せんかった と ② ワ行動詞の接続、過去形思って、思った について考えてみます。

 

① 舞台が大阪なので大阪ということにしますが、大阪の動詞の否定形は ~せん と ~せえへん の二種類ありますが、同じことなのでここでは ~せんに代表させます。その過去形が問題なのです。

 

平安文法では、~せざりき ~せざりたり で、このせざりたりの直系の ~せざった が否定の過去としてはもっとも正統的なのですが、どういうわけかあまり使われませんでした。室町期ごろから ~せなんだ という言い方が発生し、調査によると 大阪で1980年代までは ~せなんだ を使う人が年配者を中心に一定数おったということが分かっちょります。

 

もう一つの ~せんかった は 20世紀前半から浸透し始め、現在では高齢者を除くほとんどが 使いよるそうです。完全に ~せなんだ を駆逐して ~せんかった が 標準になったかの感があります。これは広く西日本一帯に当てはまる現象です。

 

 

~せんかった は 西日本の否定形 ~せん と 東日本の ~しなかった の折衷形です。おそらく大阪、関西を含む西日本の大部分の人が、これを違和感なく使い、従来から地域にある方言と思うちょることでしょう。私の地域も同じですが、私は高校生の時から ~せんやった を使うて来ました。何故かというと、東日本の否定の助動詞「ない」が、存在のある・ないと 混同した誤りであるからです。

 

書く の否定の過去形を例にとって、ローマ字で二つを比較してみましょう。

① kak  ana  katta   書かなかった (東日本語)

② kak  an    katta  書かんかった (西日本語)

ご覧の通り、母音の a があるかないかの違いだけで、②は西日本方言に値せぬ、東日本方言の亜種であることが分かります。

 

先に折衷形と申しましたが、動詞「する」のみに当てはまることで、それ以外の動詞はすべて東日本の文法に基づきます。

東国人の誤りを西に住む私らが受け継ぐいわれはありません。西日本の言葉にはそれなりの文法があります。そういう理由で私は ~せんやった を常用しよるのです。

 

                    

 

おちょやんでお千代が~なんだを使うた例は少なく、岡安の人々の前でお千代が謝罪したシーン、「申し訳おまへなんだ」ぐらいしか記憶にありません。~んかったについては、それこそ毎日数限りなく使われました。それは現代の大阪言葉かもしれませんが、戦前戦後の大阪の言葉ではないということです。若い人には違和感が残っても、NHKの良識で~なんだを使うべきでした。

 

もう一つの問題点は、ワ行動詞の接続、過去形です。つまり思うたか 思ったか。買うた(こうた)か 買った のどちらを使うべきかということです。ご存じの通り、西日本の言葉では当然思うた、買うたになるはずです。ところがおちょやんでは ほぼ100%後者でした。

 

前回のブログでも触れましたが、日本語は都のある関西中心に形成され、発展して来ました。子音と母音がしっかり結びついた母音優勢の言葉です。一方、東日本など都から離れるにつれ子音優勢となっていきました。関西とその周辺は母音優勢、それ以外の地域は子音優勢と覚えてください。

            

 

日本語の変遷を考える上で重要な基礎知識があります。はひふへほ の は行音は、元々 ぱ、ば、ふぁ、であり、 時代と共に p、b → f →  w →  h のように変化してきたということです。

 

ワ行動詞、「言う」を例に取りましょう。その過去形は、

言ひ たり   言ふぃ たり  言ふぃ た   言ふ た    言う た のように変化してきたと思われます。ローマ字で表せば、

ibi  tari   →      ifi   tari    →    ifi     ta   →   i wi  ta →  i wu  ta  → i h u  ta → i u  ta   → yuu ta  のように なります。唇を次第に使わんようになった過程が見て取れると思います。

 

ところが東国では子音が優勢やったので、この変化が起こらず、母音が脱落して子音が残りました。途中経過は省いて結果だけ示すと、

ibi  tari     →      i bi  ta   →   i b ta  →  i t ta  のようになります。

 

 

おちょやんで実際に使われたセリフを見てみましょう。一平とお千代のやり取りのシーンです。

「あんたから教えてもらったことは、ようけあった」

「あんたのこと、ずっと思ってましたんやで」

 

おちょやんの視聴を通して、否定の過去形とワ行動詞の接続、過去形について NHKが 東日本(東京)の言葉を基準にしちょることがハッキリしました。現代の大阪を描くなら別としても、100年近く前の大阪の言葉を勝手に改ざんしてはいけません。浪速千栄子、渋谷天外、花菱アチャコに対する冒涜にもなります。本人がどういう言葉づかいをしたのか、謙虚に研究したうえで台本を書くべきでした。

 

 渋谷天外

 

阪神タイガースに対する肩入れなど、大阪人の東京に対する対抗意識はよく知られちょります。いつも東京を意識し、比較するうち、コンプレックスが生じ、いつの間にか文化(言葉)まで失うてしまう。そんな危機にあると思います。大阪人のプライドを言うなら、事実に謙虚に向き合うてほしいと思います。

 

東京ばかりを見ず、琉球弧を含む日本全体を見渡して欲しい。そうすれば豊かな伝統文化に恵まれた大阪(関西)の果たす役割が見えてくるはずです。

 

                      

 

終わりに「せやろがいおじさん」について一言。
沖縄と関西出身の二人組で、様々な社会問題に関心を向け、世相を批判する姿勢には共感を覚えます。しかし、沖縄で「せやろがい」を流行らせることの意味を考えて欲しい。うちなーんちゅが沖縄の文化、言葉を取り戻せるように手伝うことをせず、関西弁でまくしたてていいのか?東京人から受けた屈辱を沖縄で返そうと言うのか?

 

沖縄について勉強して出直すことを勧めます。