おかず類を食べてしのいだものの満たされるまでにはならんやっただけに、翌日の朝食は格別でした。
コンナム大豆もやしの雑炊ですかね。これがおいしかったんです。あれこれ食材を煮込んで、いろんな味が飽和する韓国料理、それもいいけど、辛くなくすっきりした味が自然に広がるこの味。韓国で食べた料理の中で記憶に残る一品でした。


                 

             コンナムプ  大豆モヤシの雑炊  いっぺー まーさんたんどー^^
食事の後は楽器店に行き、楽器を物色。皆さん、欲しい楽器、消耗する楽器などを買い込みよりました。私はケンガリを一つ買いました。すぐヒビが入って、いつ割れるか分からんけん、買うちょかなね。日曜やけど毎年私たちのために店を開けてくれよるらしいです。

 

           

             西洋の建築技術を導入して建てられた優美な 八達門

それから城内に移動、市場を散策しました。スウォンの中心街は城壁や王宮関連の建物が散在し、歴史の息吹を感じさせる街です。八達(パ)門の側にいくつかの市場が集まってアーケード街を形成した所があります。ウロウロ歩き回って時間の経つのを忘れました。
上を見上げると日本商品不買の横断幕が、、。大きな声^^(日本語)で会話する私たち一行でしたが、誰も関心を払わず変な目で見られることもありませんでした。

 

                      

                「当市場は日本製品を扱いません。行くまい、食うまい、買うまい、売るまい」

アーケードを出ると案内所があり、その傍らに銅像がありました。近寄ってみると服装から王様のごたります。酒瓶を持って酒を勧めよる躰。スサン(酒床)のこちら側には誰も座っちょらん座布団が敷かれちょります。説明を読むと王様は22代の正祖(チョンジョ、在位1776~1800)、NHKでも放映されたイ・サンその人でした。


                   

    酒を勧める 正祖  *ただ庶民と交わる(微服潜行ミボクチャメン)時は 王の服ではなかったと思う
像の台座には「不酔無帰」ち 彫られちょりました。つまり「酔わな帰られん、酔うまで帰さんよ」ちゅう意味ですね。正祖は気さくで開明的な王で、民情を探るために庶民と酒を酌み交わし、交わったとか。正祖の目指した改革は政治レベルの遷都に止まらず、身分制の壁を乗り越え、広く産業を興しての国造りなど腹の座った本格的なものやったわけで、この像、ある意味スウォン華城を象徴する銅像と思います。

 

己の既得権に執着し、守ろうとする重臣たちの妨害を押し切って進めた改革も彼の突然の死によって中断し、以降数十年間安東金氏による暗黒勢道政治が続くことになります。この改革が成功しちょれば朝鮮の近代化が進み、産業の発達で国力も増して、日本から併合されることなく自主的な近代化への道を歩むことができたはずでした。このことについては別の機会に考えてみたいと思います。


                           

                                肉の厚さ、見てください^^
お昼は何とギョ韓国に来たらこれ食わなね。舌鼓を打つのもつかの間、午後の飛行機に乗るため私一人先においとましました。

バス停で空港行のバスを待ちましたが、「カード決済のみ可」の表示が、、。現金はダメなんや。見ると奥に端末機があり、終始世話をしてくれたスタッフの方が自分のカードで決済してくれました。いやぁ、親身にしていただいて、何とお礼申し上げればいいか。感謝ハニダ^^。


                          

                       空港バスはガラ空き、私が8人目の客でした
実は5月からスマホに替えて以来、初めての海外旅行でした。現地での相互連絡は不安でしたが、教室の方にWiFiのやり方を教えてもらい、何とか迷子にならんで済みました^^。来てよかった、つくづくそう思うた二日間でした。


*「事実」の作り方、認識の仕方が日本と韓国では違う気がします。事実は燦然と輝いちょらんと納得できんのでしょうね。