日本本土にはまず無かった三拍子が決して多くはないものの、八重山に確実に存在することが分かりました。
沖縄本島に目を転ずると、ありました!本部半島、名護のあたりにヨーテー節が伝わっちょります。

♪ 朝どぅりとぅ 夕どぅり  屋我地くじ わたてぃよー  我部ぬ平松に 思い残ちヨーテー
(仲宗根幸一訳 朝凪、夕凪の羽地内海を小舟で渡る。逢瀬の後は、恋人と語り明かした平松に思いが残り、やるせなくて、、、)

イメージ 1舟で屋我地島に渡り、島の娘たちとモー遊しびをした情景が目に浮かびます。
曲の名は節の最後に繰り返されるヨーテーから来たものですが、ヨーテー ち言えば、伊江島のマシュンク節も ヨーテー で始まります。ヨーテーは国頭(くんじゃん)一帯に分布しちょりますね。

国頭語の北限である沖永良部にもこの唄が伝わっちょります。この唄が三拍子なんですよ。

ヨーテー節には ♪ 眼鏡(がんちょー) 古眼鏡 ちゃん投ぎれー ちゅう歌詞が しばしば入ります。本来の歌詞と全然ミスマッチなので、何故? ち 疑問が湧いてきますが、よう分かりません。

沖縄本島のこの唄は名護良一、具志堅京子のコンビで聞いてみましょう。3拍 4拍 3拍 3拍 からなる前奏から始まります。


どぅ
とぅ
どぅ
てぃ
 


表をご覧になるとお分かり様に3拍を6回繰り返した後、7回目だけが2拍になり、その後は3拍が続きます。これは明らかに三拍子ですね。若干変則的であるけど、、。
イメージ 2

国頭語圏に分布するヨーテー節を、20世紀前半に川田松夫ちゅう人が辻遊郭の情緒を織り込んだ詩を付けて、西武門(にしんじょう)節として発表、「西武門哀歌」ちゅう芝居で唄うたところ、大ヒットして有名になりました。
♪男  行ちゅんどや  愛し
  女  待ちみそーり  里前   西武門の 間や  御伴さびら ヨーテー

これもヨーテー節と同じ構造ですね。


ちゅ
とぅ
 

この唄大好きで、三線を始めて一年にもならん時に自己流で弾いて満足しよったのを思い出します^^。
ただ、この唄が三拍子であることを告げるとたいていの人が意味が分からんのか、ポカン、スルー、もしくは「へ~え」で終わります。
私としては、えっ? ち 驚いて、ショックを受けてほしいのですが、、^^。
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三拍子であることは大発見でしたが、気になる点があります。
私の知る限り沖縄本島中南部には三拍子の曲は他にない思います。何故国頭に忽然と三拍子が現れたのか?不思議です。

それと「がんちょー(眼鏡) 古眼鏡 ちゃん投ぎれー」の歌詞が、取ってつけたごと不自然な点です。どなたかご存知の方、習らーち くぃみそーらんがや?
また、この手の合いの手、掛け声は古いものほど意味を理解しにくいものですが、古眼鏡なんか 捨ててしまえ ちゅう 極めて分かりやすい歌詞になっちょりますよね。

眼鏡が一般に普及し、誰でもかけるごとなったのは、琉球処分(沖縄県設置)の大分後のような気がします。
ちゅうことは、この唄、比較的新しい??  ウ~ン、??

イメージ 4沖縄の三拍子を考える上で注意すべき点は、その成立が学校教育を通じた西洋音楽が入ってきた前なのか、後なのか?です。
この二曲、安定した三拍子にかなり近いものだけに、一考の余地があると思います。

ただ国頭は琉球王国の辺境やったわけで、辺境に三拍子が発生するちゅう 私流の仮説には合うのですが、、。皆さん、どう思いますか?