シン・スチュ(申叔舟)は15世紀朝鮮を代表する政治家、文化人で、セジョン(世宗)のハングル創制にも関わった人です。
日本や明を訪れた国際経験豊富な外交官でもありました。
 
当時朝鮮の悩みの種は倭寇問題。対馬や五島近海を根城にして朝鮮沿海部を荒らし回って深刻な被害を与えました。そこで朝鮮王朝の取った対策は二つ。弾圧と懐柔でした。対馬の倭寇基地を攻撃、制圧すると同時に、商人や豪族(スキあらば海賊に変身する輩)に名目上の官位を与え、高価な品々を与えて手なずけたのです。
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そのためには日本をよく知る必要があるところから申は「海東諸国紀」を著し、対日外交の指針としました。どの大名とどの豪族が、どんな関係にあるか、詳しく考察されちょります。
 
その「海東諸国紀」の後半に「琉球国」について書かれた章があり、さらにその中に「語音翻訳」が収められちょります。言わば、琉球語会話帳ですね。簡単な琉球語の会話文が、当時出来たばかりのハングルで書かれちょるんです。これ以前に琉球語の音韻を記したものはなく、超一級資料ちゅうわけです。
 
ではなぜ、日本語(つまりヤマト語)会話ではなく、琉球語なのか。明は東アジアの盟主として周辺の国と冊封関係を結びました。貿易も条約に基づいた官制貿易やったのです。室町幕府が苦労して勘合貿易を何度か実現しましたが、とても需要を満たすものではありませんでした。
 
そこで三山を統一して意気の上がる中山王府に出番が来たのです。琉球は活発に進貢貿易を行い、日本と朝鮮とのネットワークも構築して、東アジアの海を縦横無尽に走り回りました。当時の琉球は言わば、東アジアの貿易センターやったんですよ。
 
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それで貿易実務のためにも琉球語の会話能力が求められたちゅうわけです。会話文の例を見てみましょう。
우라   즈마  피쥬       
ウラ  ズマ  フィチュ  你是那裏的人  つまり あなたは どこの人か ですね。
現代のうちなーぐちなら  うんじょー まーぬ っちゅやいびーが  くらいになるんですけどね。
 
우라   나와    이갸   이우가     你的姓甚麽
ウラ  ナワ  イキャ  イウガ   あなたの名前は 何というか ですね。
 
사가나무    아랴븨란루모       사긔     부뎨즈    아긔라  
サカナム  アリャビランドゥモ   サキ  プテツ  アギラ
肴も      ありませんが     酒   一つ    差し上げましょう
 
まあ、外交や貿易交渉も酒を飲んで、仲良くなってからちゅうことでしょうね。その時代、二人称代名詞は「ウラ」やったことが分かりますし、私たちが15世紀の琉球語の発音を正確に知ることができるのは、申のこの本のお蔭なんですよね。
 
万国津梁の鐘の銘には「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を集め、大明
をもって輔車となし、日域をもって脣歯となす。・・・」とありますが、これはこの時代の琉球の栄光を物語るものです。しかし今日、中国との関係には関心があっても、琉球と朝鮮との関係に目を向ける人は少ないのが残念です。
 
申叔舟は現実主義的な極めて優秀な政治家でした。彼が死ぬ時、主君の*ソンジョン(成宗)が枕元に来て、言い残すことはないかと尋ねたのに答えて「願わくは日本と和を失うことなかれ」と伝えました。*第9代国王、世祖の孫
 
これほど優れた人なのに韓国ではもう一つ人気がありません。朝鮮に儒教が浸透した結果、大義名分や理念を現実よりも重視するようになったからです。「忠臣 二君に仕えず」ちゅう理念のために、多くの優れた官僚が世祖(セジョ)に背を向け、死を選びました。世宗(セジョン)の孫、幼い端宗(タンジョン)を殺して、叔父である世祖(セジョ)が王位についたためです。しかし彼は現実の方を選びました。
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シン・スチュ(申叔舟)
外交とは現実の上に立って、巧みにバランスを取ることです。決して自国の理念や利益をむやみに貫くことではありません。自国の伝統的な価値観の中に身を置くと、居心地がいいし、国民の支持も集まりやすいですが、現実を見失うと百年の大計を危うくし、国を滅ぼすことになります。
 
このことはまず、日本の安倍首相に言わなければなりません。そのうえで、韓国の朴大統領にも再考を促したいと思います。
 
今日は自分でも意外な方向に話が発展してしまいましたね^^。