沖永良部の友人との話で、ある おばぁが、都会から来た青年に「うら、たーるよ?(あんた 誰)」ち 聞いたことがあったそうです。                     えっ 「うら」、、?。 今日はこの「うら」について考えてみます。
 
イメージ 4島はそろそろ梅雨明けで、この頃になると決まって、里アンナの「水無月(みなづき)」ちゅう唄を思い出します。アンナの曲の中で一番好きな唄です^^。
 
 梅雨ぬ明け、 暑かなてぃ来ゅん    夏ぬ風ぬ 気持ち いいちゃや                    会いしゃかや かなしゃん人に      なん()ぬ声ば   聞きしゃかや
 
   あしゃあしゃぬ  鳴きゅん声が    聞かれん時に   思い出しゅん
   なん(汝)と    遊だ日        なつかしゃや          *あしゃあしゃ=セミ
 
イメージ 5「十五夜」ちゅう唄では
 
 ハレーイ ワン()や  うまじ  いついつがりも 
   なん()ぬ   いもりゅんば  待ち いもりゅり                                                        (私は ここで いつまでも あなたの来るのを 待っちょります)                    
大島では「お前」、「あんた」は なん ち 言うことがわかります。
沖縄では ッヤー とか うんじゅ ですよね。ッヤーは発音記号ではjaaは喉の閉鎖音を表します。つまり喉を緊張させてッヤー ち 言うわけですね。
 
イメージ 6すると 「うら」ちゅうのは 沖永良部だけの方言なんかな?
そこで困った時の助け舟、中本正智先生の「図説琉球語辞典」で調べてみました。
ウムム、沖縄本島でも「なー」ち 言うらしい。大島の「なん」と同系ですね。 
    
中本先生によると二人称の尊敬語は平民語で「なー」、士族語で「うんじゅ」やそうです。ッヤーは、お前とか君に 当たるんですね。なるほど そうなんや。
 
問題の「うら」は大島南部の古仁屋あたりから始まり、徳之島ではウィ か ウリ、沖永良部と与論に ウラが 分布することが分かりました。ウィとウラは同系ですね。
 
因みに、宮古では下地勇の唄に「うヴぁ と まーつき(君と一緒)」ちゅうのがあって、うヴぁを使うことが分かります。石垣では「ワー」や そうです。
 
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家型の印は「なー」「なん」系統、四角の印は「ウラ」系統です
 
琉球語の「あんた」は もともと ウラやったんやけど、18世紀ごろまでに、ッヤーに変化したそうです。
そっか、それで徳之島、沖永良部、与論に ウラ が 取り残されたんや。
 
なんでそれが分かるかちゅうと、歴然たる証拠があるんです。15世紀、朝鮮の政治家、学者である申叔舟(シン・スチュ)の著書、「海東諸国紀」に当時の琉球語が記録され、二人称に「うら」が使われちょるんです!。
 
その話は、後篇でのお楽しみ、、^^。