イメージ 1首里に帰ったものの本妻との間に子ができなかったマサンドゥー(真三郎)は、本妻を連れて小浜島を訪れます。ビルーとの子、コーニーを連れて帰ろうとの魂胆。説得に負け、辛い別れを決意したビルーは、別れを拒むコーニーを「アッパー(母)が言し、聞かん童、産(な)ちゃるうび(覚え)-ねーらん」と突き飛ばします。
 
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米のご飯も着物もいらぬから、アッパー(母)と暮らしたいと唄うコーニー
 
デンサー節に乗せて唄うコーニーのいじらしさに、思わず涙が、。愛する者同士の別れと子役の活躍、泣かせる大衆演劇の定番ですね。
 
イメージ 3デジタル放送は残酷なもので、老いて小さくなったとみさんの皺一本一本を映し出しました。それでもコーニーを追いかけ、別れを惜しむ半狂乱の場面は鬼気迫るものがありました。命がけの演技でしたね。こういう様を韓国ではクィシン(鬼神) ちいうんですが、、。
 
コーニーは義母の冷たい仕打ちにも耐え、母が唄うて聞かせた♪墨書(すぃんかくぃ)上手なりとーり、筆取(ふでぃとぅ)るぃ上手なりとーり ♪を心に刻んで勉強し、役人となって再び小浜島に戻ります。
 
イメージ 4子守唄のあがろーざ節の一節なんですが、コーニーがこれを唄うと、それを聞きつけたビルーが現れ、再会を果たすという筋書き。ここでまた、ウルウル、何度見ても泣かされます。
 
沖縄の芝居は歌劇仕立てになっちょりまして、民謡が効果的に使われます。この公演では与那国民謡の第一人者宮良康正さんが、張りのある素晴らしい喉を聞かせてくれました。歌舞伎や人形浄瑠璃も同じですが、ここぞちゅう時に唄が入ると感極まりますね。与那国しょんかねとぅばらーま、最高でした^^。
 
宮良康正さん、比嘉バイロン氏が関わった沖縄大学の琉球諸語の講座に与那国を代表して出演し、数曲聞かせてくれたことを思い出しました。
 
時々女性の声に変わるのですが、情感がこもってとてもよかったです。後で知ったのですが、この人山本さんちゅうやまとんちゅ。よっぽど努力したんでしょうね。尊敬します。私も百分の一でもうまく唄いきるごとなりたいです。
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舞台は八重山でしたが、セリフは沖縄本島の言葉。八重山の言葉はアッパーぐらいかな?念のために中本正智さんの「図説 琉球語辞典」を見ると、アッパーは石垣島の言葉で、小浜島はアンニ ちなっちょりました。奄美、沖縄はほとんどアンマーなんですけどね。
 
アッパは韓国語では「父ちゃん」のこと。どうしても脳がそのように反応してしまうので困りました^^。劇では祖母はハーメー ちなっちょりましたが、韓国語でばあちゃんをハンメとも言います。
 
男の身勝手さがよく描かれた劇でした。支配階級は既得権の維持のために、何が何でも家を守ろうとします。男の論理、家の論理の上に、人頭税に象徴される首里王府の先島支配が重なって、この劇に奥行きを与えちょります。考えさせられました。
 
平良進、とみご夫妻、いちまでぃん 頑丈し、 長生ちしんしょーりよ。