2巡目 第2日 05/13/2015 前編
宿: 旅館吉野
距離: 約 21㎞
グーグルマップ上の軌跡:
https://drive.google.com/file/d/0B6fXJOKFxm31NmZqQS1wRWNaR3c/view?usp=drivesdk
越久田屋さんでは日本慣れした変な外人(アメリカ人)ひとりと、初回順打ちの白髪頭の人、何度も回っていて今回はお礼参りで戻ってきた私より年上かも知れない人、そして私の4人。
朝、外人はどうしているか聞きませんでしたが、他のふたりはすでに出立、私が出る時、ご主人が外へ出て道に出るまで見送ってくれました。見送ってくれたことに感激してスマホのアプリ My Tracks をオンにするのを忘れてしまう。
ここから熊谷寺までは山門を通るがシンプルで最短の道を調べ上げていたので、スタスタと歩き出し始めます。天気は台風一過快晴です。土成ICの前まで来て、アプリを付け忘れていたことに気づき慌ててオンにします。どういう訳か宿を出立するときは興奮しているのか、忘れがちなんですよね。
私の選んだ道は簡単で、土成ICから高速の南側の下を真っ直ぐ行くもので、人も車も全然通りません。突き当たったところを右に回り高速の下をくぐり、そのすぐの道を左に折れると、遍路地図通りで来る人と正面から会うかたちで山門への道に入ります。
ここの山門は車で来ると見ることすらなく、歩き遍路さん専用のようで誇らしげに感じます。また、八十八ヶ所の山門では一番高く大きいようで、非常に立派に見えます。
熊谷寺は階段の途中に中門があり、上まで上がると修行大師像が迎えてくれます。このお大師さん、晴れていると菅笠の影で顔が見えず、私を睨んでいるのか、やさしい顔で迎えてくれているのか全然分かりません。5年前はお大師さんの前のベンチで、暑さですでにグタッとなり休んでいると、お大師さんが「まだ朝も早いぞ、そんなところで休んでいていいのかっ」と怒られているような気がいしました。その時詠んだ句が、
蝉しぐれ 先を急げと 熊谷寺
参拝の後はまた山門を潜り9番法輪寺へと向かいます。この辺から来る人去る人何人かとすれ違います。高速から民家の間を歩きますが、それが切れるあたりに自宅を美容室にしているきれいでモダンな家がポツンと建っていますが、今は営業してなさそうですね。その先はずうっと畑や田んぼが続きます。
法輪寺は田んぼの遥か彼方から見えてきます。そんなムードで境内に入るので、中ものんびりした感じを受けます。納経してくれるお方も物静かでいらっしゃいました。納経所の外の休憩所で一服。靴と靴下を脱ぎ足を乾かします。
さて、そこから先、前回は逸れそうになったので、注意深く歩きます。特に3番目の曲がり角だったかな、環境省の「四国のみち」のしっかりした道標が左へ行けと、しかし小さな遍路の案内が右を指しています。それまでは「四国のみち」も遍路道も方向がいっしょだったので、非常に迷う所です。
途中、小豆洗い大師が見えてきました。何々大師と名の付くものの中には、下手な八十八ヶ所の寺より大きいものから、小さな祠や道端の地蔵みたいなものまであります。ここは小さな祠ですが瓦の屋根の付いた建物になっています。5年前はここまで来て、足の大方の指にマメができ、歩いていて痛くて痛くて堪らず、裏の日陰に回り、全指にバンドエイドを巻いた所です。そのような曰くつきの場所だったので、お蔭様でまたここへ来ることができました、と、お寺でやる読経を一通り唱えました。
また、通りの向かいは我が家の菩提寺系である浄土真宗の「円光寺」なので、中まで入り「南無阿弥陀仏」を唱えました。
それもこれも今回は本当に「余裕」で、寄り道して時間を割くことができています。
続く、
距離: 約 21㎞
グーグルマップ上の軌跡:
https://drive.google.com/file/d/0B6fXJOKFxm31NmZqQS1wRWNaR3c/view?usp=drivesdk
越久田屋さんでは日本慣れした変な外人(アメリカ人)ひとりと、初回順打ちの白髪頭の人、何度も回っていて今回はお礼参りで戻ってきた私より年上かも知れない人、そして私の4人。
朝、外人はどうしているか聞きませんでしたが、他のふたりはすでに出立、私が出る時、ご主人が外へ出て道に出るまで見送ってくれました。見送ってくれたことに感激してスマホのアプリ My Tracks をオンにするのを忘れてしまう。
ここから熊谷寺までは山門を通るがシンプルで最短の道を調べ上げていたので、スタスタと歩き出し始めます。天気は台風一過快晴です。土成ICの前まで来て、アプリを付け忘れていたことに気づき慌ててオンにします。どういう訳か宿を出立するときは興奮しているのか、忘れがちなんですよね。
私の選んだ道は簡単で、土成ICから高速の南側の下を真っ直ぐ行くもので、人も車も全然通りません。突き当たったところを右に回り高速の下をくぐり、そのすぐの道を左に折れると、遍路地図通りで来る人と正面から会うかたちで山門への道に入ります。
ここの山門は車で来ると見ることすらなく、歩き遍路さん専用のようで誇らしげに感じます。また、八十八ヶ所の山門では一番高く大きいようで、非常に立派に見えます。
熊谷寺は階段の途中に中門があり、上まで上がると修行大師像が迎えてくれます。このお大師さん、晴れていると菅笠の影で顔が見えず、私を睨んでいるのか、やさしい顔で迎えてくれているのか全然分かりません。5年前はお大師さんの前のベンチで、暑さですでにグタッとなり休んでいると、お大師さんが「まだ朝も早いぞ、そんなところで休んでいていいのかっ」と怒られているような気がいしました。その時詠んだ句が、
蝉しぐれ 先を急げと 熊谷寺
参拝の後はまた山門を潜り9番法輪寺へと向かいます。この辺から来る人去る人何人かとすれ違います。高速から民家の間を歩きますが、それが切れるあたりに自宅を美容室にしているきれいでモダンな家がポツンと建っていますが、今は営業してなさそうですね。その先はずうっと畑や田んぼが続きます。
法輪寺は田んぼの遥か彼方から見えてきます。そんなムードで境内に入るので、中ものんびりした感じを受けます。納経してくれるお方も物静かでいらっしゃいました。納経所の外の休憩所で一服。靴と靴下を脱ぎ足を乾かします。
さて、そこから先、前回は逸れそうになったので、注意深く歩きます。特に3番目の曲がり角だったかな、環境省の「四国のみち」のしっかりした道標が左へ行けと、しかし小さな遍路の案内が右を指しています。それまでは「四国のみち」も遍路道も方向がいっしょだったので、非常に迷う所です。
途中、小豆洗い大師が見えてきました。何々大師と名の付くものの中には、下手な八十八ヶ所の寺より大きいものから、小さな祠や道端の地蔵みたいなものまであります。ここは小さな祠ですが瓦の屋根の付いた建物になっています。5年前はここまで来て、足の大方の指にマメができ、歩いていて痛くて痛くて堪らず、裏の日陰に回り、全指にバンドエイドを巻いた所です。そのような曰くつきの場所だったので、お蔭様でまたここへ来ることができました、と、お寺でやる読経を一通り唱えました。
また、通りの向かいは我が家の菩提寺系である浄土真宗の「円光寺」なので、中まで入り「南無阿弥陀仏」を唱えました。
それもこれも今回は本当に「余裕」で、寄り道して時間を割くことができています。
続く、
2巡目 第1日 05/12/2015 後編
宿泊: 越久田屋 素泊りのみ 4,200円(聞いていた4,000円より上がっていた)
この日はパラパラから土砂降りに代わる雨模様で写真は全然撮れずでした。
犬のいない愛染院の山門から出て、林や田んぼ道を通り、広域農道を横切り、また農地や多少傾斜のある林などを通り抜けると、34号の車道に出ます。さらにその緩やかな道を上り切ると4番大日寺の広い駐車場が見えてきました。5年前の7月24日はここまでで暑さのため1日のエネルギーを使い切った感がありましたが、この日は昼まで時間もまだたっぷりあり、余裕の体です。
https://www.youtube.com/watch?v=bLvIKlCQvQA
風、来てぇ、暑いよぉ、、、
境内には歩き遍路さん、車遍路さん、がすでに複数おられました。大日寺さんも滞りなく終え来た道を下っていきます。途中1番から歩き出した方達でしょうか、何人もの人と挨拶しながらすれ違います。そして高速の下で34号から右にそれますが、前を歩いていた4人ほどのお遍路さんは話に夢中だったのか、案内標を見過ごし34号を降りて行きました。でも五百羅漢でまた一緒になるんですけどね。
前回は暑さのため時間と心に余裕がなく、五百羅漢は自動的にパスしましたが、今回はじっくり眺めていこうと200円を払って中に入ります。他の寺の外にある羅漢像はすべて石像ですが、ここのはカラフルな木像です。どちらも共通していることは像ひとり一人の表情が豊かなことです。ただ人工の照明はなく、建物の隙間から漏れる外からの間接光だけなので、一人で見て歩いたら怖いものがあるかも知れません。
そして5番地蔵寺は五百羅漢を出た後、脇の墓地から地蔵寺の脇へと入っていきます。ここが1番から来ると初めての広い境内と仏閣になります。そして地蔵寺の山門を出ると左に民宿「森本屋」さんがあります。ここも改築したのか表側は非常に感じのいいものとなっています。またその先に今度はアパートみたいな廃屋が、まだ、ありました。ところがこのアパート、高さもさることながら、横幅が人の住めるサイズではありません。日本の家屋は小さいといってもこれは極端です。全体がミニチュアセットのようです。ずいぶん前から「売り」の看板が出ているようですが、造ったはいいが最初から売れていないのではないかと思います。
そして再度12号線の脇へと出ます。ここを少し1番方向へ戻ると、食事処「源水」があり、12時前後ならここで昼にしようかと考えていましたが、まだ11時を過ぎたところ、先に進み「小柿休憩所」から12号の方へ出たところにセルフうどん「だいせん食堂」があるので、そこまで足を延ばします。
実は「セルフうどん」と言うお店は初めてで、恐る恐る入ってみましたが、流れとしては、最初にトッピングを皿に取り、次にうどんの種類を言うと、そこで金額が合計され支払いとなる仕組みなんですね。うどん自体は250円から350円ほどなんですが、私は海老天1本と野菜天ぷらミックスをとったので、700円+になりました。まぁまぁ旨かったです。
うどん屋を出たあたりから、ポンチョを羽織らないといけない雨になったので、ポンチョと足カバーのレインチャップスを身に着けます。この雨は5月にしては珍しい大型台風が本州の南海上を通過しているらしく、午後が進むにつれ雨脚が激しくなってきました。
次のお寺が6番安楽寺。ここの竜宮城のような山門は鐘楼も兼ね、2階にキリスト教みたいな鐘が吊るされています。そして鐘の周りの床は2、3人が寝られる広さがあり、野宿遍路はここで寝泊まりするそうです。その情報を外国人が集まるフェイスブックのお遍路グループで知り、どんなものか上がって調べてみました。
参拝の後、まだ時間がたっぷりあるので、鯉が泳ぐ日本式の回遊庭園を見たり、山門脇のお土産屋で美味しいコーヒーを飲んだりしてゆっくりしました。そして今日最後のお寺、7番十楽寺へと向かいます。もう雨はザーザー降りです。
十楽寺の大師堂では、右側の屋根から雨が滝のように流れ落ちているので、それを避けて階段を下りました。手前の安楽寺とこの十楽寺には宿坊があります。今回のこの近辺の宿泊ではこれら宿坊と民宿「いしだ」それにちょっと先の素泊まりオンリーの「越久田屋」を候補にあげましたが、両宿坊は値段がかなり上がりちょっと気が引けたので止め、民宿「いしだ」は5年前と去年のお礼参りで泊まったので、今回は「越久田屋」に決めました。
この越久田屋さんは素泊まりのため、夕食と入浴のため近くにある天然温泉「御所の郷」への送り迎えと翌日の朝食雑貨購入のためコンビニまで行ってくれます。またここの大将はお遍路に大変詳しくいろんなことを面白おかしく教えてくれます。
この日はスマホのアプリ My Tracks が動かなかったのか何かで、歩いた記録がありません。2番から越久田屋まで約19㎞ぐらいだと思います。2巡目でもあり、「勝手知ったる我が家」じゃないが、険しい山道もなく、寺数が多く雨だったとは故、19㎞は余裕でした。
この日はパラパラから土砂降りに代わる雨模様で写真は全然撮れずでした。
犬のいない愛染院の山門から出て、林や田んぼ道を通り、広域農道を横切り、また農地や多少傾斜のある林などを通り抜けると、34号の車道に出ます。さらにその緩やかな道を上り切ると4番大日寺の広い駐車場が見えてきました。5年前の7月24日はここまでで暑さのため1日のエネルギーを使い切った感がありましたが、この日は昼まで時間もまだたっぷりあり、余裕の体です。
https://www.youtube.com/watch?v=bLvIKlCQvQA
風、来てぇ、暑いよぉ、、、
境内には歩き遍路さん、車遍路さん、がすでに複数おられました。大日寺さんも滞りなく終え来た道を下っていきます。途中1番から歩き出した方達でしょうか、何人もの人と挨拶しながらすれ違います。そして高速の下で34号から右にそれますが、前を歩いていた4人ほどのお遍路さんは話に夢中だったのか、案内標を見過ごし34号を降りて行きました。でも五百羅漢でまた一緒になるんですけどね。
前回は暑さのため時間と心に余裕がなく、五百羅漢は自動的にパスしましたが、今回はじっくり眺めていこうと200円を払って中に入ります。他の寺の外にある羅漢像はすべて石像ですが、ここのはカラフルな木像です。どちらも共通していることは像ひとり一人の表情が豊かなことです。ただ人工の照明はなく、建物の隙間から漏れる外からの間接光だけなので、一人で見て歩いたら怖いものがあるかも知れません。
そして5番地蔵寺は五百羅漢を出た後、脇の墓地から地蔵寺の脇へと入っていきます。ここが1番から来ると初めての広い境内と仏閣になります。そして地蔵寺の山門を出ると左に民宿「森本屋」さんがあります。ここも改築したのか表側は非常に感じのいいものとなっています。またその先に今度はアパートみたいな廃屋が、まだ、ありました。ところがこのアパート、高さもさることながら、横幅が人の住めるサイズではありません。日本の家屋は小さいといってもこれは極端です。全体がミニチュアセットのようです。ずいぶん前から「売り」の看板が出ているようですが、造ったはいいが最初から売れていないのではないかと思います。
そして再度12号線の脇へと出ます。ここを少し1番方向へ戻ると、食事処「源水」があり、12時前後ならここで昼にしようかと考えていましたが、まだ11時を過ぎたところ、先に進み「小柿休憩所」から12号の方へ出たところにセルフうどん「だいせん食堂」があるので、そこまで足を延ばします。
実は「セルフうどん」と言うお店は初めてで、恐る恐る入ってみましたが、流れとしては、最初にトッピングを皿に取り、次にうどんの種類を言うと、そこで金額が合計され支払いとなる仕組みなんですね。うどん自体は250円から350円ほどなんですが、私は海老天1本と野菜天ぷらミックスをとったので、700円+になりました。まぁまぁ旨かったです。
うどん屋を出たあたりから、ポンチョを羽織らないといけない雨になったので、ポンチョと足カバーのレインチャップスを身に着けます。この雨は5月にしては珍しい大型台風が本州の南海上を通過しているらしく、午後が進むにつれ雨脚が激しくなってきました。
次のお寺が6番安楽寺。ここの竜宮城のような山門は鐘楼も兼ね、2階にキリスト教みたいな鐘が吊るされています。そして鐘の周りの床は2、3人が寝られる広さがあり、野宿遍路はここで寝泊まりするそうです。その情報を外国人が集まるフェイスブックのお遍路グループで知り、どんなものか上がって調べてみました。
参拝の後、まだ時間がたっぷりあるので、鯉が泳ぐ日本式の回遊庭園を見たり、山門脇のお土産屋で美味しいコーヒーを飲んだりしてゆっくりしました。そして今日最後のお寺、7番十楽寺へと向かいます。もう雨はザーザー降りです。
十楽寺の大師堂では、右側の屋根から雨が滝のように流れ落ちているので、それを避けて階段を下りました。手前の安楽寺とこの十楽寺には宿坊があります。今回のこの近辺の宿泊ではこれら宿坊と民宿「いしだ」それにちょっと先の素泊まりオンリーの「越久田屋」を候補にあげましたが、両宿坊は値段がかなり上がりちょっと気が引けたので止め、民宿「いしだ」は5年前と去年のお礼参りで泊まったので、今回は「越久田屋」に決めました。
この越久田屋さんは素泊まりのため、夕食と入浴のため近くにある天然温泉「御所の郷」への送り迎えと翌日の朝食雑貨購入のためコンビニまで行ってくれます。またここの大将はお遍路に大変詳しくいろんなことを面白おかしく教えてくれます。
この日はスマホのアプリ My Tracks が動かなかったのか何かで、歩いた記録がありません。2番から越久田屋まで約19㎞ぐらいだと思います。2巡目でもあり、「勝手知ったる我が家」じゃないが、険しい山道もなく、寺数が多く雨だったとは故、19㎞は余裕でした。
2巡目 第1日 05/12/2015 前編
宿泊: 越久田屋 素泊りのみ 4,200円(聞いていた4,000円より上がっていた)
前日の宿たる極楽寺の宿坊に関して、
以前から聞いていた午後5時までにチェックインは、本当にそうらしく、聞いてみてそれを確認しました。なるべく5時までに入ってくれとのことです。
ただ私が着いた時間は充分早く、まず荷物を置かせてもらって参拝に出ました。宿坊の玄関と団体客用の納経所とは隣り合わせで、個人用の納経所は山門に近いところにあるようです。
一通り参拝を済ませ、長命杉、仏足石、願掛け地蔵等をゆっくり眺めてから宿坊に戻ると、その時間団体の納経はなく、その場で若いお坊さんが納経してくれ、玄関に回ると明日立つまでの宿坊での段取りを説明してくれて、明日朝の勤行は6時からだが5時50分にこのロビーに集合で、6時半から朝食であると伝えてくれました。私のもらった部屋は小さいですが、きれいに整えられ、茶に菓子セット、テレビまでありました。寺名入りのタオルは後日使うので、使わないままちゃっかりリュックにしまいました。
夕飯は1階の食堂で、イスとテーブルなので私みたいなまともに畳の上には座れない者にとってはありがたかったです。お遍路さんを歩きや車でまとめ、テーブルの上に名前が書かれた札がのっていました。よってそばの人とは話がよく通じました。食事の内容は宿坊ということもあり期待はできません。メインのディッシュも出す直前に作りあげたものではありません。でもバランスよく食べられれば結構。
第1日目
朝は、案の定、3時半頃に目が覚めてしまいました。で、4時半頃までウトウトと。でも昨晩は9時ころ寝たので寝不足感はなし。幸い他の部屋の音は聞こえず、こちらの音もとどかず、ゴソゴソと出発の準備を始めます。特に菅笠のあご紐と金剛杖の取っ手の部分は向こうから持ってきたロープでしっかり作りました。
朝の勤行のため言われた時間に1階のホールへ。皆さん、しっかり集まっていました。そこから長くかなり上の本堂へ。ご住職さまから経と法話をいただきましたが、15分くらいで終わり、また皆はゾロゾロと1階の食堂へ。
私は7時ころ宿坊を発ちましたが、早すぎたのか境内には外から誰も来ていません。この寺から次の3番金泉寺へは来た時のように駐車場を通って12号線には出ず、山門を出てすぐに右に行きます。霊園の中を通り林を抜けると12号から入る脇道に出られます。
この辺から古い民家が立ち並んだ撫養街道から北の生活道路となり、そこそこ歩くと、車道から右に入り遍路専用道となります。入り口には「ここから金泉寺」ともなっています。前回は完全な田んぼのあぜ道で緩かったのですが、今は石畳の板がしっかり置かれて歩きやすくなっています。
3番金泉寺でもしっかりと経を唱えます。以前の1回目区切り打ちでは般若心経だけでした。2回目の区切り打ちで宿毛から一緒になったお方が、経は皆で合わせて唱えましょうとのことで、開経偈から始まり、廻向で終わることを教わり、それ以来私もフルで唱えるようになりました。
金泉寺からそこそこ歩くと右が運河のような川の道になります。その途中の左にある廃屋がまだ壊れずに建っています。最初にこれを見たとき、なぜこんな危険な状態のまま放っておくのか不思議でしたが、5年経って、なくなった部分もありますが、まだ建っています。アメリカ、少なくともロサンジェルスではこれは許されません。土地の所有者が壊さない場合、市政府が強制的に壊し、土地所有者に費用を請求します。この町と限らず、四国のそこここで放ったらかしの廃屋を見かけます。景観のいいものではありませんね。
遍路道も高速の下をくぐってしばらく歩くと右に道がそれ、農地へ入り丘程度の山道になります。そこを進むと金泉寺の奥ノ院「愛染院」を正面の山門ではなく横から入ることになります。その手前から年配の男女グループと一緒になりました。彼らと愛染院で用意されたインスタントコーヒーやお茶のお接待を受け、二、三言葉を交わしました。皆さんほとんど遍路衣装は着ておらず、遍路道を中心にハイキングをしているそうです。この愛染院では筆でなく刷毛で書いた納経をしてくださるとか、私はあまり興味がないのでそれはパスし、山門から立ち去ろうとしたとき、確か5年前この山門には歳を取って寝っぱなしで、人の行き来には全然興味を示さない老犬がいたことを思い出しました。しかし今はその姿がなく、もう亡くなったのかなと感じました。
続く、、、
前日の宿たる極楽寺の宿坊に関して、
以前から聞いていた午後5時までにチェックインは、本当にそうらしく、聞いてみてそれを確認しました。なるべく5時までに入ってくれとのことです。
ただ私が着いた時間は充分早く、まず荷物を置かせてもらって参拝に出ました。宿坊の玄関と団体客用の納経所とは隣り合わせで、個人用の納経所は山門に近いところにあるようです。
一通り参拝を済ませ、長命杉、仏足石、願掛け地蔵等をゆっくり眺めてから宿坊に戻ると、その時間団体の納経はなく、その場で若いお坊さんが納経してくれ、玄関に回ると明日立つまでの宿坊での段取りを説明してくれて、明日朝の勤行は6時からだが5時50分にこのロビーに集合で、6時半から朝食であると伝えてくれました。私のもらった部屋は小さいですが、きれいに整えられ、茶に菓子セット、テレビまでありました。寺名入りのタオルは後日使うので、使わないままちゃっかりリュックにしまいました。
夕飯は1階の食堂で、イスとテーブルなので私みたいなまともに畳の上には座れない者にとってはありがたかったです。お遍路さんを歩きや車でまとめ、テーブルの上に名前が書かれた札がのっていました。よってそばの人とは話がよく通じました。食事の内容は宿坊ということもあり期待はできません。メインのディッシュも出す直前に作りあげたものではありません。でもバランスよく食べられれば結構。
第1日目
朝は、案の定、3時半頃に目が覚めてしまいました。で、4時半頃までウトウトと。でも昨晩は9時ころ寝たので寝不足感はなし。幸い他の部屋の音は聞こえず、こちらの音もとどかず、ゴソゴソと出発の準備を始めます。特に菅笠のあご紐と金剛杖の取っ手の部分は向こうから持ってきたロープでしっかり作りました。
朝の勤行のため言われた時間に1階のホールへ。皆さん、しっかり集まっていました。そこから長くかなり上の本堂へ。ご住職さまから経と法話をいただきましたが、15分くらいで終わり、また皆はゾロゾロと1階の食堂へ。
私は7時ころ宿坊を発ちましたが、早すぎたのか境内には外から誰も来ていません。この寺から次の3番金泉寺へは来た時のように駐車場を通って12号線には出ず、山門を出てすぐに右に行きます。霊園の中を通り林を抜けると12号から入る脇道に出られます。
この辺から古い民家が立ち並んだ撫養街道から北の生活道路となり、そこそこ歩くと、車道から右に入り遍路専用道となります。入り口には「ここから金泉寺」ともなっています。前回は完全な田んぼのあぜ道で緩かったのですが、今は石畳の板がしっかり置かれて歩きやすくなっています。
3番金泉寺でもしっかりと経を唱えます。以前の1回目区切り打ちでは般若心経だけでした。2回目の区切り打ちで宿毛から一緒になったお方が、経は皆で合わせて唱えましょうとのことで、開経偈から始まり、廻向で終わることを教わり、それ以来私もフルで唱えるようになりました。
金泉寺からそこそこ歩くと右が運河のような川の道になります。その途中の左にある廃屋がまだ壊れずに建っています。最初にこれを見たとき、なぜこんな危険な状態のまま放っておくのか不思議でしたが、5年経って、なくなった部分もありますが、まだ建っています。アメリカ、少なくともロサンジェルスではこれは許されません。土地の所有者が壊さない場合、市政府が強制的に壊し、土地所有者に費用を請求します。この町と限らず、四国のそこここで放ったらかしの廃屋を見かけます。景観のいいものではありませんね。
遍路道も高速の下をくぐってしばらく歩くと右に道がそれ、農地へ入り丘程度の山道になります。そこを進むと金泉寺の奥ノ院「愛染院」を正面の山門ではなく横から入ることになります。その手前から年配の男女グループと一緒になりました。彼らと愛染院で用意されたインスタントコーヒーやお茶のお接待を受け、二、三言葉を交わしました。皆さんほとんど遍路衣装は着ておらず、遍路道を中心にハイキングをしているそうです。この愛染院では筆でなく刷毛で書いた納経をしてくださるとか、私はあまり興味がないのでそれはパスし、山門から立ち去ろうとしたとき、確か5年前この山門には歳を取って寝っぱなしで、人の行き来には全然興味を示さない老犬がいたことを思い出しました。しかし今はその姿がなく、もう亡くなったのかなと感じました。
続く、、、
2巡目 第0日 05/11/2015
今回は遍路地図にない特殊な道を歩いた分から書いてくつもりでいましたが、そうするとそれ以外の物語を忘れてしまうのではないかと思い、毎日順序だって書いていくことにしました。
前日の宿泊: ファーストキャビン(羽田空港、素泊まり 5,000円)
実際に歩いた距離: 約15km
宿泊: 第2番極楽寺・宿坊 1泊2食 6,300円(不正確)
この日を第0日目のゼロとしたのは、当初、この日は移動日として丸1日残し、第1番霊山寺参拝手前までと考えていました。しかしいろいろ検討した結果、この日は2番極楽寺の宿坊に泊まることとし、素早く飛行機で徳島空港に来るものの、時間がたっぷりあり、昼夜逆な日本時間にできるだけ体を合わせるため、残りの時間で体を疲れさせようと、無謀にも空港から1番まで(結果は2番まで)歩くことを決めました。
また今回は徳島空港の住所である松茂町に住む友人に、遍路用品などをオンラインで購入し、一部はアメリカまで郵送していただいたりしたので、お礼にと安いものですが、徳島ラーメンをおごるため立ち寄りました。
https://drive.google.com/file/d/0B6fXJOKFxm31NmdqZWFTb3R0emM/edit
上記のリンクで、最初の画鋲から次の白◎あたりまでは歩いていません。今切川の南側にあるラーメン屋さんへと、そこから白◎あたりにあるスーパー「キョーエイ松茂」までは車で送ってもらいました。
スーパー「キョーエイ松茂」でチャッカマンと線香を買ってからまた歩き出し、途中、住宅街、工場群、運河、農地、田んぼ、などを通り、懐かしい坂東駅には南側から歩いて入り、そして1番へと向かいました。
1番さんは去年も来ているので、それほど感激もなく一通り参拝を済ませ、納経所を探すと、場所が東側の大きな駐車場にあるお土産屋の中に移ったそうで、そちらへ向かい、最初の御朱印だけをいただきました。これには300円も払っているのに、プチ感激をしました。死ぬまで何度でも札所を回るつもりですが、これからは判子だけです。でも遠くからはるばる来ているので、私にとって300円は十分価値があります。
そして2番へ。この撫養街道は交通が激しく好きではありませんが、向こうからメガネをかけた女性遍路さんが来ます。すれ違いざま、念のため「あれ、逆打ちですか」と尋ねたら、1番の近くに宿を取ったんだけど、時間があるので2番もお参りしてきたんだとか、なるほどとうなずく。
2番極楽寺の宿坊は午後5時までにチェックインを済ませろと聞いていたのですが、参拝も含め5時までは十分余裕で着きました。
宿坊に入る時点から先は次の日に回させていただきます。
この日は計画時点で道はしっかり調べていたものの、遍路道のように標識が全然なく、早めにスケジュールを消化したいので、歩く途中心に余裕がなかったのと、風が強くて菅笠をおさえることが多く、写真は一切撮れません。
前日の宿泊: ファーストキャビン(羽田空港、素泊まり 5,000円)
実際に歩いた距離: 約15km
宿泊: 第2番極楽寺・宿坊 1泊2食 6,300円(不正確)
この日を第0日目のゼロとしたのは、当初、この日は移動日として丸1日残し、第1番霊山寺参拝手前までと考えていました。しかしいろいろ検討した結果、この日は2番極楽寺の宿坊に泊まることとし、素早く飛行機で徳島空港に来るものの、時間がたっぷりあり、昼夜逆な日本時間にできるだけ体を合わせるため、残りの時間で体を疲れさせようと、無謀にも空港から1番まで(結果は2番まで)歩くことを決めました。
また今回は徳島空港の住所である松茂町に住む友人に、遍路用品などをオンラインで購入し、一部はアメリカまで郵送していただいたりしたので、お礼にと安いものですが、徳島ラーメンをおごるため立ち寄りました。
https://drive.google.com/file/d/0B6fXJOKFxm31NmdqZWFTb3R0emM/edit
上記のリンクで、最初の画鋲から次の白◎あたりまでは歩いていません。今切川の南側にあるラーメン屋さんへと、そこから白◎あたりにあるスーパー「キョーエイ松茂」までは車で送ってもらいました。
スーパー「キョーエイ松茂」でチャッカマンと線香を買ってからまた歩き出し、途中、住宅街、工場群、運河、農地、田んぼ、などを通り、懐かしい坂東駅には南側から歩いて入り、そして1番へと向かいました。
1番さんは去年も来ているので、それほど感激もなく一通り参拝を済ませ、納経所を探すと、場所が東側の大きな駐車場にあるお土産屋の中に移ったそうで、そちらへ向かい、最初の御朱印だけをいただきました。これには300円も払っているのに、プチ感激をしました。死ぬまで何度でも札所を回るつもりですが、これからは判子だけです。でも遠くからはるばる来ているので、私にとって300円は十分価値があります。
そして2番へ。この撫養街道は交通が激しく好きではありませんが、向こうからメガネをかけた女性遍路さんが来ます。すれ違いざま、念のため「あれ、逆打ちですか」と尋ねたら、1番の近くに宿を取ったんだけど、時間があるので2番もお参りしてきたんだとか、なるほどとうなずく。
2番極楽寺の宿坊は午後5時までにチェックインを済ませろと聞いていたのですが、参拝も含め5時までは十分余裕で着きました。
宿坊に入る時点から先は次の日に回させていただきます。
この日は計画時点で道はしっかり調べていたものの、遍路道のように標識が全然なく、早めにスケジュールを消化したいので、歩く途中心に余裕がなかったのと、風が強くて菅笠をおさえることが多く、写真は一切撮れません。
2巡目 区切り打ち 第1回
2015年5月の2巡目区切り打ちお遍路は、以下のような日程で歩きました。天気にも恵まれ、土砂降りだったのは2日目の午後十楽寺あたりだけでした。
今日のブログ以後はスケジュール通りに書いてはいかず、はっきり思い出せるものから、そして地図のルートから外れた道を取ったものなどを中心に、気が向いた時に書かせてもらいます。
5月11日(月)
徳島空港から歩いて第1番霊山寺→2番極楽寺 極楽寺の宿坊泊
5月12日(火)
→7番十楽寺 民宿「越久田屋」泊
5月13日(水)
→11番藤井寺 旅館吉野 泊
5月14日(木)
→12番焼山寺 すだち館 泊
5月15日(金)
→17番井戸寺 おんやど松本屋 泊
5月16日(土)
→19番立江寺 民宿「鮒の里」泊
5月17日(日)
→20番鶴林寺 「果樹園オーナーの宿 碧」泊
5月18日(月)
→22番平等寺 民宿「山茶花」泊
5月19日(火)
→23番薬王寺 BHケインズ 泊
5月20日(水)
→霊場なし はるる亭 泊
5月21日(木)
→霊場なし 民宿椎名 泊
5月22日(金)
→26番金剛頂寺 金剛頂寺の宿坊泊
5月23日(土)
→27番神峯寺 善根宿 美園 泊
5月24日(日)
→霊場なし サイクリングターミナル 海の宿しおや 泊
5月25日(月)
→28番大日寺→松本大師堂→高知空港
今日のブログ以後はスケジュール通りに書いてはいかず、はっきり思い出せるものから、そして地図のルートから外れた道を取ったものなどを中心に、気が向いた時に書かせてもらいます。
5月11日(月)
徳島空港から歩いて第1番霊山寺→2番極楽寺 極楽寺の宿坊泊
5月12日(火)
→7番十楽寺 民宿「越久田屋」泊
5月13日(水)
→11番藤井寺 旅館吉野 泊
5月14日(木)
→12番焼山寺 すだち館 泊
5月15日(金)
→17番井戸寺 おんやど松本屋 泊
5月16日(土)
→19番立江寺 民宿「鮒の里」泊
5月17日(日)
→20番鶴林寺 「果樹園オーナーの宿 碧」泊
5月18日(月)
→22番平等寺 民宿「山茶花」泊
5月19日(火)
→23番薬王寺 BHケインズ 泊
5月20日(水)
→霊場なし はるる亭 泊
5月21日(木)
→霊場なし 民宿椎名 泊
5月22日(金)
→26番金剛頂寺 金剛頂寺の宿坊泊
5月23日(土)
→27番神峯寺 善根宿 美園 泊
5月24日(日)
→霊場なし サイクリングターミナル 海の宿しおや 泊
5月25日(月)
→28番大日寺→松本大師堂→高知空港
民宿椎名
民宿椎名にやっと着きました。
昨日は薬王寺の日和佐から宍喰の「はるる亭」まで約34kmも歩いたのに、今日もまた同じくらいの距離で、もう足が棒のようです。
55号線はしっかりした歩道がないところが多く、騒音と車をよけるのに気を使います。
ここも普通の家の空いている部屋を貸している感じで、畳の部屋と木の床の部屋を貸してますが、洋間がいいと言ったら、通してくれた部屋はどでかい板の間ですが、ベッドかと思ったら、布団で寝るようです。
食事もユニークで、牛肉の炒め物とスパゲティーに大盛りキャベツでした。
今日は私一人のようで、大きめのお風呂にゆっくり入れました。
明日は最御崎寺により近いので、金剛頂寺の宿坊までゆっくり回れそうです。
昨日は薬王寺の日和佐から宍喰の「はるる亭」まで約34kmも歩いたのに、今日もまた同じくらいの距離で、もう足が棒のようです。
55号線はしっかりした歩道がないところが多く、騒音と車をよけるのに気を使います。
ここも普通の家の空いている部屋を貸している感じで、畳の部屋と木の床の部屋を貸してますが、洋間がいいと言ったら、通してくれた部屋はどでかい板の間ですが、ベッドかと思ったら、布団で寝るようです。
食事もユニークで、牛肉の炒め物とスパゲティーに大盛りキャベツでした。
今日は私一人のようで、大きめのお風呂にゆっくり入れました。
明日は最御崎寺により近いので、金剛頂寺の宿坊までゆっくり回れそうです。
神峯寺麓の宿、第三の選択肢
先日、高知県は吉良町の遍路宿「蔵空間茶館」の話をしましたが、その次の日の宿は神峯寺の麓にある3軒の民宿の内、現在は2軒しか営業していないとの話がありました。
その2軒とも今一つの評価だが、他に選択がないと私自身結論づけていましたが、今日ある方のブログを見たら、変則的だが近くにと言うか手前にもう1軒宿があることが分かりました。
ごめんなはり線の2駅手前の田野駅近くで、上記の民宿より約4.5km手前にゲストハウスのような「旅の宿・美園」があり、1泊2食付きで2500円とか。この値段にしては食事はまぁまぁだそうで、部屋は木の床の相部屋に布団で寝るようです。
歩く段取りは田野駅近くのその宿に先に行き、参拝道具以外を預け、身軽な出で立ちで神峯寺を参拝して、下りは途中から広域農道を使い、唐浜駅から汽車で田野駅に戻り、翌日は再度汽車で唐浜駅まで行ってから歩き出せば、歩きのルートをと切らせないで済むと言うものです。
多少面倒ですが、とにかく安いのと、家は新しく、その点では快適だそうです。私もこれを選択肢のひとつに加えておきます。
その2軒とも今一つの評価だが、他に選択がないと私自身結論づけていましたが、今日ある方のブログを見たら、変則的だが近くにと言うか手前にもう1軒宿があることが分かりました。
ごめんなはり線の2駅手前の田野駅近くで、上記の民宿より約4.5km手前にゲストハウスのような「旅の宿・美園」があり、1泊2食付きで2500円とか。この値段にしては食事はまぁまぁだそうで、部屋は木の床の相部屋に布団で寝るようです。
歩く段取りは田野駅近くのその宿に先に行き、参拝道具以外を預け、身軽な出で立ちで神峯寺を参拝して、下りは途中から広域農道を使い、唐浜駅から汽車で田野駅に戻り、翌日は再度汽車で唐浜駅まで行ってから歩き出せば、歩きのルートをと切らせないで済むと言うものです。
多少面倒ですが、とにかく安いのと、家は新しく、その点では快適だそうです。私もこれを選択肢のひとつに加えておきます。