【足りないのは、伝えること。①】※長文です。
※KEPの報告レポはもう少しお時間ください。
やっと…やっと熊本に行くことが出来ました。
何故わたしがすぐ行かなかったかは、最後の方に書こうと思います。
朝の7:30に鹿児島市内を出発し、
熊本市北区武蔵小学校に向かいました。
※自分が何年も支援している団体、BOND&JUSTICEが活動しているのがそこでしたので。
高速道路は渋滞もなく比較的スムーズでした。
途中のPAで都城の自衛隊の方に話しかけて「鹿児島の自衛隊は桜島があるので総動員で出動はしていない」ということを教えて頂きました。
緑川PAを超えた辺りからしばらく50キロの速度規制があり、
道路は波打っている状態。
鹿児島から2時間半ほどで嘉島JCTで下ろされました。
上益城の住宅街の屋根はブルーシートの青だらけ。
渋滞が激しく、抜けるために脇道に避けると、
倒壊した家屋や塀、見るも無残に崩れてしまっているお墓の墓石が多数。
街自体は緑の多いのどかな風景で、
農業を営んでいらっしゃる方が多いことが予想出来ました。
炊き出しに使う卵の購入の為に、コスモス(ドラッグストア)に寄りましたが、
既に物資は充足しており、買い占め等も落ち着いていました。
結局12時過ぎに武蔵小学校に到着しました。
体育館にて炊き出し班と車中避難者用の物資セットをつくる仕分け班に分かれ、作業を開始。
途中、携帯の地震速報アラーム(Yahooの防災速報アプリ)が鳴り、
阿蘇で震度3の余震があったことを知り、気を引き締めました。
武蔵小学校では、体育館内で少し崩壊が見られた為(舞台の壁が多少崩れていた)、
避難者の方々は教室にいらっしゃいました。
体育館内には市の職員、学校の先生達、京都市の相談カウンセラーの方々が他にもいらっしゃいました。
一回目の物資セットをつくり終わると、
炊き出しをしていたお母さんが笑顔でやってきて、
「お菓子の入っているセットが欲しいな~(´∀`)」と。
???と思っていると、
「わたし、車中避難者なの~(´∀`)」
他にも沢山のお母さんたちが炊き出しを手伝ってらっしゃいました。
以前目にした心の防災手帳より、
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20160420-00056818/
「避難して3ヶ月くらいまでは、〝無力感〟に苛まれるため、誰かの役にたつ行動が大切である。〝自分たちがやってあげる〟ではなく、〝一緒にやる〟を実行して欲しい。」
これを誰に教えてもらうでもなく、
3.11から実行しているボンジャスにしみじみと頭が下がる想いでした。
体育館入口で、一人の子連れのお母さんが話しかけてきました。
「すみません、物資を分けて頂けると聞いたのですが…」
本当に申し訳なさそうな表情でした。
「大丈夫です!!何が必要ですか?」とお聞きすると、
「この子用のオムツをお願いしたいのですが」と。
お探ししていると、
「すみません、〇〇のオムツだとこの子オムツかぶれをおこしてしまうので、〇〇か〇〇はありませんか?」
終始、申し訳なさそうでしたが、
しっかり必要な物をお探しして、他にもフォローアップミルクや、シャンプー、お子さんが大好きなどうぶつクラッカー、そしてパンティーライナーをお渡ししました。
「ストレスでまた生理が始まって…」と…。
「また必要な物があれば、いつでもいらしてください!!」と、
一緒に来ていたおじいちゃんにも物資をお渡しし、送り出しました。
そうこうしているうちに二度目の物資セットをつくり終わり、
今度は別の避難所の桜木東小学校へ炊き出しをする為に移動。
18:00~配布を開始するのですが、
そこへ向かう道もやはり渋滞しており、
通常10~15分くらいと思われる道のりが、
1時間近くかかり、到着しました。
既に炊き出しの配布は始まっており、待ちの列が出来ていました。
子供たちは笑顔いっぱい、元気いっぱい。
中には親子丼をおかわりする子も。
18~19歳くらいの若い女の子たちが、
「案外、美味しそう」と言いながら受け取っていたのも印象的でした。
まだまだ表情は暗く、疲労の色が隠せない方たちも沢山いらっしゃいました。
努めて笑顔で大きな声で話しかけました(得意分野です)。
撤収時間の19時になり、
避難者が沢山いらっしゃる体育館に御挨拶に行きました。
まだ段ボールでの仕切り等はなく、
ご年配の女性、男性、車椅子で避難されている方も見受けられました。
「鹿児島から来ました!!またお伺いしまーす!!」と大きな声で挨拶。
皆さん、口々に「ありがとうございます」と返されます。
最後、体育館の入り口でご年配の女性に「ありがとうございます、忘れません」とお互いにしっかり手を握り合いながら、
おっしゃって頂いた時は……
そして、熊本をあとにしました。
今回、わたしがすぐ物資運搬班として熊本入りしなかったのは、
主人の強い反対があったからです。
主人は主人の「自分の家族を守らなければならない」という強い意志があったのです。
それに負けないくらい、行きたいという想いがありました。
悔しくて悔しくて、でも思いも理解できるのでやるせなくてただただ泣きました。
だけどそこは〝出来ることを出来るだけ〟。
家族や周りの理解があって長く続けていけることです。
代わりに行ってくれる仲間がいたので、託すことが出来ました。
本当に感謝しています。
皆さんも支援に行かれる際は、あくまでも自己責任ですが、
もしものことを考えた上で、パートナーやご家族に理解をして頂いてください。
のちのちの関係に響きます。
ボランティア活動保険の必要性は言わずもがな。
http://www.dondon-net.or.jp/volunteer/insurance/
これからゴールデンウィークに突入します。
熊本に支援で向かわれる方々もいらっしゃることでしょう。
どうかご安全に、そして鹿児島の人たちの熱い熱い想いを伝えて欲しいなと思います。
物資やお金だけではなく、
「熊本の人たちを心配しているよ、思っているよ」その気持ちを。
そしてわたしたちの、わたしの想いをうけて現地で頑張ってくれている、
全国のボンジャスメンバー、
そして代表の大土雅宏にも感謝です。
〝ありがとうございます〟
また、近いうちに熊本に行きます。
想いを伝えに。











