資格とったけど未だまだおバカなあいつの日常 -121ページ目

資格とったけど未だまだおバカなあいつの日常

昨年度はブログ更新ほとんどしてなくてごめんなさい。

一応精神保健福祉士の資格はいただきました。ありがとうございます。現在は神奈川に住んでいます。

来年から栄養に関する講座始めます!

こんにちは。最近ウハウハなワタリンです。







さて、前回は「良い死」と「悪い生」についてお話ししたかと思います。


ここからは、脳死臓器移植提供と倫理観について述べています。


・脳死臓器移植提供をめぐる議論が起こったことは世界的に見ても稀⁉︎



「脳死は人の死か生か」ということを持って繰り広げられた議論は、一種の政治的駆け引きの結果の妥協であれ、脳死を一律的に人の死とはみなさない、世界的に類を見ない臓器移植法の制定にかなりの影響を及ぼした、とある。


つまり、脳死を死とはみなさない立場の方が一定数いらしたということである。

生物学的に言えば、脳死というのは意識もなく生存権はない(生物学的な意味での生命を奪ったとしても道徳的に許容できる)といった議論は堂々となされたのに対し、日本では脳死状態にある人の身体的状況や能力だけに着目するのではなく、その人を看取る家族との間に生じるいのちといのちの交流といった点にまで着目したとのこと。


しかしながら、これは日本だけに限ったものではない、とある。アン・モンゴウェンが病院チャプレンへのインタビュー調査の結果を基にした論考で述べている。


チャプレンたちは、臓器提供という結果ではなく、臓器提供(あるいは拒否)に至るまでのプロセスを重視し、それが家族たちの悲嘆過程をいかに促進させるか(妨害しないか)、それによって家族たちがその人の死をいかに受容できるかということに焦点を当ててサポートを行おうとする、と著者は述べている。


なぜ彼らは臓器提供が半分以上の州で容認されているのにもかかわらず臓器提供について踏み込んだのか。チャプレンたちの考えは、臓器提供について考えさせること家族への心情への配慮との間にある緊張・葛藤があることを常に意識していた。むしろ、その緊張・葛藤を引き受けることのうちに自分達の役割を見出している(Mongoven,2000)とのお話しです。


今日はここまでです。この後はエヌフィットにて勉強会が開催されます。(19時から)


少し一昨日の件確認してからタンパク質を取りに街を彷徨いますw

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