野毛坂交差点を渡ると野毛山公園の標識が
あります。
この辺りは老松町といい高級住宅街です。
リニューアル中の中央図書館があり、植え込み
の中に「知恵の箱」という望月菊磨さん作の
オブジェがあります。
野毛山公園に入ると案内板があります。
園内には野毛山動物園があります。
野毛山公園
野毛山公園は、横浜公園や掃部山公園に次ぐ
歴史ある公園です。
野毛山動物園
みなとみらい21地区を眼下に見下ろす高台に
ある、野毛山公園の中にあります。
公園全体の面積は9.1ヘクタールで、動物園の
面積は3.3ヘクタールです。
周辺には横浜市中央図書館などがあり、野毛
山公園はちょっとしたお散歩コースになって
います。
〔参考:「野毛山動物園 HP」より〕
野毛山動物園は現在の横浜動物園「ズーラシア」
に全て移転されるはずだったのですが、横浜市民
の根強い希望で、現在も存続していると記憶して
います。
階段を上ります。
途中中村汀女句碑がありました。
中村汀女と句碑
明治33年(1900年)4月11日、中村汀女は熊本
県飽託郡画図村(現:熊本市東区江津)に生まれる。
大正9年(1920年)、熊本市出身の大蔵官僚(税務)
の中村重喜と結婚。
昭和5年(1930年)、夫中村重喜は横浜税関へ転任、
西戸部税関官舎に移る。
句碑には
蕗のたう
おもひ
おもひの
夕汽笛
とあります。
碑文にはこのようにあります。
中村汀女先生は、明治33年熊本に生れ、
江津湖畔に育ち、高浜虚子に師事、昭和22年
俳誌「風花」を主催。句集「紅白梅」ほか多數の
著書あり。
昭和5年より西戸部税関官舎に住まわれ、良き
時代の横浜をこよなく愛され、幾多の名句を詠
まれた。
ここにゆかりの句を戴き風花湘南支部一同、これ
を句碑として此処に残す。
〔参考:サイト「私の旅日記」より抜粋〕
傍の広場では子供が遊んでいました。
石燈籠のようなテレビ塔の遺構がありました。
さらに上ると、佐久間象山顕彰碑がありました。
佐久間象山顕彰碑
佐久間象山の主張によって横浜が開港された
功績を称え、1954(昭和29)年、当時の横浜市会・
兵頭政志議員の発案により創建されたもの。
その背景は?
ペリーと横浜で出会ったとき、象山は幕府から、
日本人とアメリカ艦隊員の間に起こるやもしれぬ
不測の事態への警護を下命されていたに過ぎず、
アメリカ側と交渉するような立場ではまったくなか
ったのだが、しかしその腹中にはある構想が表明
の機会を待っていた。
“横浜開港”である。
当時の幕府は開港場所として下田(伊豆)と函館
(北海道)を考えていたが、象山は下田開港には
断固反対だった。
彼は「下田は日本側からすれば守るに安く、敵側
からすれば攻めるに難い。
もし外国人に占領されたら奪還が難しい。
江戸に近い横浜ならばこちらから十分に監視が
できるし、敵も迂闊なことはできない」として、
下田ではなく横浜開港を熱烈に推奨し、あらゆる
手段を用いて幕府への説得を試みた。
しかし象山の願い虚しく、1854(安政元)年の
日米和親条約で開港したのは下田と函館であった。
1859(安政6)年、日米修好通商条約により象山の
熱望通り横浜港が開港し、外国との交易の窓口に
なる。
こうした事跡をもって、象山を横浜開港の恩人と
して顕彰(けんしょう)したのが、投稿者も述べて
いる野毛山公園の石碑である。
〔参考:「はまれぽ.com」より抜粋〕
一旦車道を横断して展望台に行きます。
野毛山公園の様子をまとめた動画をYOUTUBE
にアップしています。
どうぞご覧ください。
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