旧東京市営店舗向住宅から清澄庭園の方に
向かうとお寺があります。
浄土宗 当智山 本誓寺
浄土宗寺院の本誓寺は当智山重願院と号します。
本誓寺は、小田原本誓寺六世の文賀が、幕府
より文禄四年(1595)八重洲河岸に寺地を拝顔
して創建、太田康資(太田道灌の四代の孫)娘
英勝院が開基となったといいます。
慶長11年(1606)馬喰町上町へ、天和2年
(1682)当地(深川大工町)に移転、元禄12年
(1699)には徳川綱吉から寺領30石の御朱印
状を拝領、江戸時代の浄土宗触頭の一つで
あったといいます。
明治6年(1873)には江戸崎大念寺より檀林号
が移り、昭和元年まで檀林格であったといいます。
〔参考:サイト「猫の足あと」より〕
境内では紅梅が綺麗に咲いていました。
参道には「村田春海墓」の説明板と石柱があり
ます。
東京都指定旧跡 村田春海墓
昭和18年(1943)5月指定
江戸時代中期の国学者で歌人。
日本橋小舟町の豪商村田春道の次男として延享
3年(1746)に生まれた。
父春道、兄春郷とともに賀茂真淵の門人で著名
な国学者であった。
春海は国学者としては仮名遣いや五十音の研究
に造詣が深く、歌人としては加藤千蔭とともに
古今調の流麗な一派を立て江戸派と称せられた。
門人に清水浜臣・小山田(高田)与清・岸元由流
らがおり、江戸の宗匠と称せられ、従い学ぶ者が
衆をなしたといわれる。
『琴後集』『歌かたり』『和学大概』など多数の
著書がある。
文化8年(1811)2月13日66歳で死去した。
墓石に楷書で平春海先生墓とある。
平成8年(1996)3月8日
〔東京都教育委員会〕
以前にもレポートしましたが全く知らない方です。
さらに参道を進むと本誓寺の子院として創建され
た常照院があります。
その先に「呂一官の墓」という説明板がありました。
読んでみます。
呂一官墓
呂一官は明(中国)に生まれ、日本に帰化した
人である。
一官は当時の中国事情や薬種・薬学等に精通して
いたため、天正12年(1584)徳川家康より浜松
に屋敷を拝領し、諸事の諮問を受けた。
その後の家康江戸入国に際し、日本橋通二丁目
に御朱印地を拝領した。
現在の柳屋の地であり、近江商人外池家により
承継され、柳屋の業祖とされている。
一官は、薬草・香木などの学に詳しく、元和
元年(1615)の頃には同地において臙脂(紅)、
白粉等の製造・販売店が開かれた。
これらは後に嵯峨御所(大覚寺)、徳川家を
はじめ広く一般に愛用された。
過去帳によると、「元祖唐人辻一官」とあり、
五代目からは「堀」氏を名乗っている。
元和9年(1623)10月10日に没した。
戒名は「迎誉来相信士」。
一官の墓は宝篋印塔で、本誓寺墓地の左奥角
にある。
平成24年8月
〔當知山 本誓寺〕
この方も全く知りませんでした。
本誓寺を離れ地下鉄・清澄白河駅から移動。
渋谷に移動しいつもの酒場へ。
美味しいお酒とお料理をいただき一人打上げと
なりました。
これで清澄白河から渋谷と歩いた「清澄白河探検」
レポートを終わります。















