高梨智士です。
「最近ブログがマジメすぎる」
というご指摘を受けました。
確かに、ちょっと面白味に欠けて
いたかもしれない。
反省。
よって今回は
講師や心理やコミュニケーション
とは全然関係ない記事にします。
完全に関係ないです。
こないだ初めて、神戸で
神戸牛なるものを食べました。
神戸といえば神戸牛。
だが
神戸の人はロクに食べないだろう。
が、神戸といえば?と問われたら
やはりそれは神戸牛。
神戸を訪れる人にとっては
鉄板なのだ。
鉄板焼きだけに。
神の戸と書いて、こうべと読む。
確かに、神の世界への入り口は
そこにあった。
頭を垂れてくぐるのは
ホテルの鉄板焼き屋さんのドア。
ここにはKobe beefを求め
日本各地から、いや、世界中から
人が集まる。
となりの席は外国人のカップル。
言葉から察するに、たぶん
アメリカから来たのだろう。
本物の牛肉と語り合いに。
あるいは、食の神と邂逅する
ために。
存外、店の中はカジュアルだ。
だが
ジャケットを着てきてよかった。
最高にうまいものを口にするとき
人は作法を気にするってもんだ。
目の前には鉄の絨毯が
広がっている。
神がダンスをする舞台だ。
向こうの席では、すでに
舞踏会が始まっている。
きっと、観客たちは華麗なる
ステップに心を躍らせている
はずだ。
それが口の中で跳躍するイメージを
すでに脳内の巨大なスクリーンで
再生しているに違いない。
自らの唾液で溺れそうだ。
シェフが現れる。
まるで、神の言葉を伝える預言者
のようだ。
この道一本数十年って感じ。
頼もしい。
鉄板焼きは、素材だけでなく
シェフの腕にもかかっているの
だろう。
鬼に金棒。
いや、最高の金棒に最高の鬼だ。
来た来た、サーロイン。
まだ生の状態。
焼いた鉄板の近くに置いておくことで
冷蔵庫から取り出したばかりの
冷えっ冷えのビーフを常温に
戻すのだろう。
これが、神戸牛か。
220グラムの重さは、どれほどの
充実感を心にもたらしてくれるの
だろう?

前菜は、ローストビーフ。
これまた、神戸牛。
神のテイスティングだ。
赤ワインと共に。
ローストビーフに
オニオンスライスを巻き巻きして
塩で食べる。
ヒンヤリとした感覚を舌上に
感じる。
適度な噛みごたえ。
口の温度で、脂が溶ける。
旨味、広がる。
オニオンスライスの
シャキシャキ感も楽しい。
塩、甘い。
これはうまい!
すかさず、ワインを。
口腔内に猛スピードで
ぶどう畑が開拓される。
あぁ、大人になってよかった。
赤いものは、赤ワインによく合う。
今日のベストカップル賞だ。
もうこれでお腹いっぱいにしても
いいじゃないか!
だが
そこはノブレスオブリージュ。
うまいものには、義務が伴う。
前座としての役割を果たす。
「わたくしは
メインではありません。」
優美なお辞儀を見せながら
たった4枚の貴族は舞台を降りる。
座は温まった。
否が応でも
神の降臨を期待させる。
それにしても
余計に腹が減るじゃないか。
隣の席ではすでに
アメリカ人カップルが堪能している。
「デリシャス?」
シェフの言葉に、
「Delicious!!」
女性の方が答える。
ペリー来航から約150年。
八百万の神を奉りし日出ずる国は
四方を海に囲まれており
それまでの間、外的脅威が迫る
ことは何度かあったが
先人たちの機知と勇気によって
制圧されることはなかった。
和を以って尊しとなすその和心は
戦国乱世の終焉から約250年の間
戦争がないという世界史上空前の
ミラクルピースを成し遂げる。
その静寂は黒船の大砲によって
破られ、白人優位の不平等条約を
結ばされはしたが、それによって
我々は新たなるリソースを
発見することになった。
他国の文化を自国の文化に
合わせる、という能力だ。
永きに渡る歴史と自然豊かな
地勢に育まれた柔軟な国民性は
他を吸収し、自に合うように
改良し、オリジナルとは別の
オリジナリティーを確立し続けて
いる。
ペリー来航までの間、その土地に
住む人が労働力の一つ、家族の
一員であった牛の肉を常食する
ことはなかったが、「いいものは
いい、うまいものはうまい」
という貪欲さで、新たな価値観に
チャレンジしてきた。
それが、日本の文化。
その結果が、我が国が世界に誇る
神戸牛。
アメリカとの戦争に負け、一度は
制圧されはしたが、その和心は
負けてはいない。
「どうだ、アメリカのネェちゃん
うまいだろう?
日本の牛も捨てたもんじゃない
だろう?」
シェフは今、日本の職人として
文化を担う者としての誇りを
身体中で感じているに違いない。
「Delicious!!」になんだか
こっちも誇らしくなってくる。
オレは、国粋主義者ではないはず
なのに。
しかもまだ、メイン来てないのに。
さてさて、大変長らく
お待たせいたしました。
神の降臨です。
シェフの華麗なるコテと包丁さばき。
キンキンと音がなる。
音がうまい。
そのリズムに合わせて
肉が、踊る。
心が、躍る。
ガーリック、ブラックペッパー
塩、マスタード、醤油、ポン酢
あたかも神器がごとし。
焼き上がった。
レアだ。
最初の4切れがお皿に並ぶ。
行儀がいい。
小さいのが余計に重厚感を
強調している。
最初はやはり、塩。
そりゃ、塩でなきゃ。
神々しいその一切れを口に入れる。
前歯から、噛む。
うまいものを食べるときの掟だ。
………
言葉に、できない。
オレは小田和正か。
言葉にならないなら
言葉にしなければいい。
ただ、堪能するのみ。
口の中に成立した美を。
この味わいを。
この世界を。
この自由を。
サーロイン。
この語源は「腰」を意味する
ロインに、ナイトの称号である
サーをつけたものだという説が
ある。
その説が本当かどうかは分からないが
これを味わった当時の英国王が
敬意を表したくなる気持ちは
よく分かる。
写真、一枚だけしか撮れなかった。
食べるのに夢中で。
まあ、それもいいさ。
うまさは写真ではなく
心に宿るものなんだから。
Yes,sir!
野菜も、いい。
ニンジン、ナス、サツマイモ
豆腐、こんにゃくなんてのもある。
和洋折衷の美学。
しっかり脇を固めている。
そして、ついに奴が来る。
鉄板焼きのお楽しみといえば
これだ。
それはまるで
ジャッキーチェーンの映画の後の
NG集のようなお楽しみ感。
そう、ガーリックライス。
シェフが作ってくれている間
これまたヨダレが止まらない。
もうお腹いっぱいなはずなのに。
ハフハフ言いながら
その焼き立てを、熱い炭水化物を
早く胃袋の中に入れたい。
やはり、舞台のフィナーレを
飾るのは、これしかない。
神はなぜ、この世にニンニクを
もたらしたのか。
その答えがこの小さな茶碗の中に
宿る。
丼で、食べてみたかった。
ふう、お腹いっぱい。
と思っていたら、最後にシェフが
もやしを炒めはじめた。
約1分間ほど、軽く。
カリッカリの牛脂と共に。
シャッキリポンが止まらない。
甘いものが苦手な私にとっては
これ以上のデザートは、ない。
舞台後の役者の顔見せのように
さわやかな印象だ。
最後の最後まで、夢みたいだ。
お会計、なかなかのものだった。
普段と、ケタが違う。
安くてうまいものもある。
だが、高くてうまいものの
非日常感は、明日への活力を
与えてくれる。
神の舞台の入場料としては
このくらいがちょうどいいのかも
しれない。
神戸は海に面している。
次は海鮮も、オーダーしよう。








