「味方」

敵味方の味方です。

“私はあなたの味方だよ”という使い方をしたりします。

 

「理解者」

私はあなたのことは分かっていますよ

というのは「理解者」だと思います。

なんでそんな話をするかというと

「味方」と「理解者」とでは

大きな隔たりがあるなあ~という体験をしたことを思い出し

私は「理解者」でなく「味方」になれるかなと考えちゃいました。

 

 

前職の専務と数年ぶりに再会し飲み明かしたとき

その体験を思い出しました。

 

当時 専務が、私の味方になってくれた場面です。

会社では、メインの事業をフランチャイズ展開していて

その責任者を私がしていました。

 

フランチャイズオーナーの方々との会議をアメリカでやろうということで

私が参加を募るパンフレットを製作し、印刷が出来上がってきました。

 

その出来上がったパンフレットを社長が見て

激怒

「なんじゃこれっ、ウチの会社はこんなことをやりたいのか!」

 

情けないことに私は完全に調子に乗っていました。

派手な演出の会議、派手なおもてなし・・・

とにかくそんなことで参加者を惹きつけ募ろうとしていました。

 

社長は

そんなことに共鳴する人たちと

事業をしたいわけじゃない。

ウチのやりたい事業の本質はそんなことじゃない。

その本質的に共鳴して集まった仲間との会議にしたい。

それが全く感じ取れないと。

 

言われてみればごもっともです。

 

そこで社長がとった行動は

もしかしたら、この会社そのものがズレた認識で

間違った方向に進もうとしているのではないか

と危惧して

専務と他二人の取締役をその場で召集しました。

 

集まった三人に

何も言わずにパンフレットを差し出し

「これ  どう思う?」

と。

 

 

三人ともこのパンフレットのことは

製作も含めて知りませんでした。

 

反応は

取締役Aさん 「いやあ~これはマズいでしよう」

取締役Bさん 「う~ん、初めて見ましたけど、いいと思います」

専務       「これを作っているときから、全然問題ないと思っていました」

 

専務の発言にビックリです。

知っていたわけもなく、

しかも専務は派手なことが嫌いで

このパンフレットのような発想をする人ではないのです。

 

取締役Bさんは

「鈴木さんのやろうとしていること解るよ」

と理解者になってくれました。

 

それに対して専務の発言は

「味方」と感じました。

あり方としてと「一体」になっている感じがしました。

 

専務は無意識にそう言ったかもしれませんが

私は救われた感じがして 涙が出るぐらいうれしかったです。

 

 

同時にこんな話も思い出しました。

不登校・中退生を預かる「師友塾」の大越塾長は

ここに預けられるような子供たちは

人間を信じなくなっています。

その逆境に堕った子供に必要なのは

理解者ではなく味方なんです。

あるがままを認め、丸ごと受けとめることです。

それがたとえ道徳的に外れた行為をしていてもです。

 

例えば

子供がパンを盗んできたら

そのパンを子供と一緒に食べてあげる。

子供の罪を一緒に食べてやり

子供を無条件に安心させてやる。

その時初めて、味方だと信じてもらえる。

子供は人間を信じるということを体で知る。

これは盗みが罪だということを教えるより大切なこと と。

 

仕事、生活、友

イザという時、私はどうなれているだろうか?

ふと考えてしまいました。