夫の叔父は現役の頃はサラリーマンと画家の二足の草鞋を履いていました。
退職後は画家として個展を開いたり教室で教えたりしていました。
昨日本当に久しぶりにアトリエにお邪魔しました。
いつも穏やかだった叔父が亡くなりましたが、お顔もとっても穏やかで良いお顔
のままでした。突然眠ったまま旅立たれましたので病気でやつれた顔ではなく、
本当に眠っていらっしゃるかのようでした。
クリスチャンでしたので葬儀は教会で行いました。
聖書を手にしていらっしゃる方は牧師の南先生です。
キリスト教での葬儀には心打たれるものがありました。
祭壇のお花は全て生花で、「親戚一同」などの造花の花輪は一切なく、華美で
はありませんが実に美しく、牧師先生のお言葉も遺族の挨拶も心から発せられ
た温かいものでした。
讃美歌と主の祈りで故人を送りました。
広い墓地には桜が咲き誇り、見晴らしの良い落ち着いた場所にあります。
この、大変穏やかでいながら説得力のあるお話をしてくださる方が牧師の南
先生です。私の不躾な質問にも成程と理解できる回答をくださいました。
君津に住んでいたら単に南先生のお話を伺うためだけにでも教会に通いたい
と思いました。
叔父のように眠ったまま天に召されることは多くの老人に取っては理想的な死
に方だと思います。享年83歳、まだまだ生きていて欲しかった方ですが、良い
人生を送られた叔父様に相応しい死に方であり葬儀だったと思いました。









