一応語学のコーナーにあったんですが、『語学の天才まで1億光年』の破天荒ぶりには笑うしかありませんでした。
本書の著者は高野秀行さん。早大生の頃より世界の秘境を素っ頓狂なテーマを胸に渡り歩き、その模様を数々の著作にて活写してきた、まさに辺境ノンフィクション作家。そんな氏が現地で悩んだことの一つが、言葉。英語だけで事足りると思ったら大間違い、さりとて同じ(ようにみえる)現地語でも色々事情があったりするのです。
まず、著者が実地で体感、観察した言語事情が学者が調査しまとめてきたこととほぼ一致しているのが興味深い。実体験と知見によってお互いに裏書きし合っているというか。一方で南米のマジックリアリズムは決して作家の想像ではなく現実なのだとの指摘に文学史を一通り習ったはずの私は衝撃を受けました。
著者自身の学習法も、面白い。(今までウチの母が買い込んできた)語学学習指南書にはないワイルドさがありますが、なかなかどうして説得力があります。言語にはそれぞれの「ノリ」がある、との著者の説はコンクリートジャングル育ちの類書にはないものです。
本書のクライマックスというべきワ州での模様には考えさせられました。「ゴールデン・トライアングルに住み込んでケシ栽培を行ってアヘンを作る」(p.206)なる常人ではもちえない野望を胸に準備を重ね、人生的迷走をしつつもついに機会を得て訪れた、ミャンマー奥地シャン州のそのまた奥地にあるワ州。そこではワ語が話されているはずでしたが、滞在地に選んだ村では事前に習ったワ語とは違う村言葉が話されていました。そしてなぜか、高野さんは案内役の青年と共に、ワ州の独立勢力が作った教科書を基に標準ワ語を学校で教えることになったのです。
嗚呼! まさに私が苦しんでいる標準ワ語と村言葉のクレバスに、子供たちも――逆の方角から――落ちてしまっているのだ。そして、彼らにはさらなる悲劇が待っていた。(p.302)
ミャンマーという世界から見れば小さな国から独立を図るシャン州のそのまた奥地にある小さな土地の独立勢力が作った“国語”もまた有形無形の権力システムでもって人々が生活の一部として使ってきた言葉を弾圧する。よりによって弾圧する側に立った著者の悲痛な文章が、神経に痛みを伴う共感をもたらします。著者が今まで辺境で味わってきたこうした言語の上下関係は、英語がやたら広まっている今さらに重い課題となっているものです。
さて、本記事冒頭を読んでちょっと語学書として格が落ちてるのかなぁと心配になった方は、安心してください。各言語の専門家からの教示はいただいているそうなので、言語学的間違いはないです。「ムシャシノ」も含めて。
はるか先、1億光年先にあるという語学の天才なるイデア。ヒトが決してたどり着けないであろうその理想は、しかし常に光り輝いているのです。
¿Por qué piensa usted que hablo español?
(どうして僕がスペイン語を話すって思ったんですか?)(p.156)
『語学の天才まで1億光年』
高野秀行
集英社インターナショナル
高さ:18.8cm 幅:13.6cm(カバー参考)
厚さ:2.2cm
重さ:344g
ページ数:334
本文の文字の大きさ:3mm