長年子どもに勉強を教えていると、ついさっきまで普通に明るく振舞っていたのに、自分が解けないちょっと難しい問題に当たると突然不機嫌になる子をよく見かけます。分からなくて悩むのは当たり前なんですが、そうではなくて不機嫌になる。周囲に対しての態度が粗暴になる。幼い子どもなら理解できますが、それが小学校高学年、中学生になっても治らない。
そういう時、私は彼らに
「どないしたん?」
車中にて
私は地下鉄によく乗るのですが、今日こんな出来事がありました。
帰りの車内で、いつものように私はドアのそばに立って本を読んでいました。途中、駅に着き、乗客が入れ替わってしばらくしてから、
「よかったら座り。」
との声が聞こえました。見ると、初老の男性が座席を立ってそばの若い女性に席を譲ろうとしています。
(なんで、わざわざそんなことをするんやろう・・・)
と、不思議に思ってよく見てみると、その若い女性はお腹が大きい― そう、妊婦さんだったんです。周囲の若い人々が腰を下ろしたままの中、身重の女性の身体を気遣い、声をかけたその男性に温かな人間性を感じました。
当然、お礼をいって女性が座るものと思いきや、意外なことにその女性はかの男性を見やり、
「結構です。」
とだけ言って、すぐにまた視線を元に戻しました。その行動を見て、私は驚きました。彼がどのような思いで席を譲ろうとしたのか、親切心から湧き出た行動を拒絶された彼が、周囲の視線を感じながらその後どのような思いで電車に乗り続けるのか、彼女には想像できなかったのでしょうか。私はこのとき、以前バスで見た、若い子がお年寄りに席を譲ろうとして断られていた光景を思い出しました。
本来なら、そういう時は「ありがとうございます」と言って、その温かい気持ちを素直に受け取るものです。確かに日本には「気持ちだけいただく」という奥ゆかしい心があります(した?)が、個人間ならまだしも、衆人環視の中で、他人の公共心の形成にも影響を与える場合は、適切な判断をしなければなりません。
そのような態度をされたら、誰が社会的弱者に席を譲ろうと思うのでしょうか。「皆が知らぬふりをする中、勇気を出して言ったのに、逆に恥ずかしい思いをする」ぐらいなら初めから譲らない方がマシと考えるのが普通でしょう。
その女性はすぐ降車するわけでもなく、それから5駅ほど乗って降りました。もちろん降りる時には、まだそばに座っていたその男性にお礼の一言もなく。
彼女は、生まれてくるわが子に公共心・社会道徳をどう教えるのでしょうか・・・
帰りの車内で、いつものように私はドアのそばに立って本を読んでいました。途中、駅に着き、乗客が入れ替わってしばらくしてから、
「よかったら座り。」
との声が聞こえました。見ると、初老の男性が座席を立ってそばの若い女性に席を譲ろうとしています。
(なんで、わざわざそんなことをするんやろう・・・)
と、不思議に思ってよく見てみると、その若い女性はお腹が大きい― そう、妊婦さんだったんです。周囲の若い人々が腰を下ろしたままの中、身重の女性の身体を気遣い、声をかけたその男性に温かな人間性を感じました。
当然、お礼をいって女性が座るものと思いきや、意外なことにその女性はかの男性を見やり、
「結構です。」
とだけ言って、すぐにまた視線を元に戻しました。その行動を見て、私は驚きました。彼がどのような思いで席を譲ろうとしたのか、親切心から湧き出た行動を拒絶された彼が、周囲の視線を感じながらその後どのような思いで電車に乗り続けるのか、彼女には想像できなかったのでしょうか。私はこのとき、以前バスで見た、若い子がお年寄りに席を譲ろうとして断られていた光景を思い出しました。
本来なら、そういう時は「ありがとうございます」と言って、その温かい気持ちを素直に受け取るものです。確かに日本には「気持ちだけいただく」という奥ゆかしい心があります(した?)が、個人間ならまだしも、衆人環視の中で、他人の公共心の形成にも影響を与える場合は、適切な判断をしなければなりません。
そのような態度をされたら、誰が社会的弱者に席を譲ろうと思うのでしょうか。「皆が知らぬふりをする中、勇気を出して言ったのに、逆に恥ずかしい思いをする」ぐらいなら初めから譲らない方がマシと考えるのが普通でしょう。
その女性はすぐ降車するわけでもなく、それから5駅ほど乗って降りました。もちろん降りる時には、まだそばに座っていたその男性にお礼の一言もなく。
彼女は、生まれてくるわが子に公共心・社会道徳をどう教えるのでしょうか・・・
甘やかしの弊害
と普通に聞くと、たいていの子どもは何も答えません。
ブスッとしたまま首をかしげるばかり。そんな時、私はあたかも気持ちを察したように接することは敢えてしません。もともとそれが恥ずかしい行為だと教わっていない場合がほとんどですので、はじめの内は繰り返し説いて、その恥ずかしい行為を戒めます。
しかし度が過ぎるとかなり厳しく叱ります。
自分の思うようにいかないとすぐ腐る、その弱い精神は早いうちに鍛えておく必要があるからです。自分自身がとった行動に対しては、善悪の判断がつく年になったのなら、きちんと説明できなければダメなんです。そしてそこを厳しくすることが責任感の醸成にも繋がるということを、これまでの経験から確信しています。
時に、そういった子どもの行動を「まだ小さいし、甘えているだけなんだから」と変に理解を示す大人がいますが、子どもを「甘やかす」ことと温かく「見守る」ことの違いが分かっていません。成長したその先まで考えて責任を持って接することが「見守る」ということなのです。もちろん甘い部分もたくさんあっていいのですが、それらは社会規範に則した確固たる自分の基準に沿ったものでなければなりません。
もちろん、何でもかんでも先のことまで考えて行動するのは大変疲れますが、子どもを育てる大人というものはそういう役割なんだろうと思います。
少子化の中で「甘やかし」というおいしい部分だけを堪能し、努力や苦労を経ず、傷つくことの少ない中で脆くもつくり上げられた虚構の自尊心ではなく、揺ぎのない本物の誇りを子どもたち自身にの手で育ててもらうために、これからも温かく、そして厳しくありたいと思います。
時に、そういった子どもの行動を「まだ小さいし、甘えているだけなんだから」と変に理解を示す大人がいますが、子どもを「甘やかす」ことと温かく「見守る」ことの違いが分かっていません。成長したその先まで考えて責任を持って接することが「見守る」ということなのです。もちろん甘い部分もたくさんあっていいのですが、それらは社会規範に則した確固たる自分の基準に沿ったものでなければなりません。
もちろん、何でもかんでも先のことまで考えて行動するのは大変疲れますが、子どもを育てる大人というものはそういう役割なんだろうと思います。
少子化の中で「甘やかし」というおいしい部分だけを堪能し、努力や苦労を経ず、傷つくことの少ない中で脆くもつくり上げられた虚構の自尊心ではなく、揺ぎのない本物の誇りを子どもたち自身にの手で育ててもらうために、これからも温かく、そして厳しくありたいと思います。