アドラーを語る上で

「劣等感」は外せない

 

人は誰しもそれを抱いている。

ポジティブを極めし者でも人である限りは

ひとつやふたつはあるだろう。

僕だってそう。君だってそうなんだ。

 

さて、不登校は劣等感を強く受けていると思う。

それはこの登校ありきの子供社会にいる限り避けされない。

親だってそう。

不登校を経験し切った親であれば、子供の不登校なんて大人になったら小さなもんだと、

どん!と構えられると思うが、

普通の教育を受けた親は、頭では分かっていてもすんなり受け入れ難いのが、

劣等感を拭いきれない。人であれば当然だ。

そこで、もっと不登校を受け止められる広い心を持つべきだ!

と、自然な感情に逆うと、

不登校を持つ親の劣等感、受け入れらない心の劣等感、

ダブルに陥ってしまいがちだ。

 

開き直って

あぁ、劣等感を感じいるなぁ、わたしと、

素直な感情に向き合った方が気が楽だと思う。

 

そして、

アドラーは

劣等感は毒にも薬にもなると言っている。

それを理由に不貞腐れ、救われない自分を救わない輩を非難し、

劣等感を逆手にとってやりたい放題だ。

 

一方で、

劣等感は強い感情ゆえに、

大きなエネルギーとなり得る。

「見返してやる!」この表現は昭和っぽいけど

自分を動かす原動力となり得る。

 

がんばれ!

それをどう活かすかは?

その目的によっていかようにも変わる。

 

可哀想な私に慈悲を与えるべきだ。

それに応えない社会が悪い。親が悪い。と

卑屈を極め、

目的をひきこもりにして生涯、

苦しみも喜びも少ない生活を望むか?

 

これをバネにして

今のうちに他の子がしない経験をしよう。

理系を極めて東京理科大学に行くんだ!

大人になってドヤ顔をするのは自分だ!

と、目的を輝いている自分にするか?

 

いつだって人生は思い通り

byアドラー