もうそろそろ梅雨の声が聞こえても良い時期なのですが、東京では晴れて30°Cの暑い土曜日です。先週のNEW EDUCATION EXPOの資料がとても充実していて、それをすべて見て、参加企業や団体様の情報を精査していましたらあっという間に一週間経ってしましました。


今回は教育コンテンツを中心にお名刺交換をさせていただきましたが、お名刺の中には文部科学省の方のものもありましたので、これをご縁に色々ご相談したいと思いました。


官僚の方にも個性があり、大掛かりにデータをいじくり回して私が2ヶ月半で理解したことを話している人もいれば、教育のデジタル化についてかなり突っ込んだ発言をされる方もおり、決して紋切り型ではないのだなと分かりました。


教材作成に長年取り組んできた経験から申しますが、教材作りには二つの極があります。


1つの極は内容の吟味や問題の選択は適切に行うものの、あまり詳しく説明を書いたり問題配列にこだわることをしないやり方で、紙ベースのテキストですとかなり薄いものになります。これは授業を行う教師に使用法を委ねるやり方です。説明を極力簡潔かつ必要最小限に留めてあるので、教師のオリジナリティーを存分に発揮してもらえます。問題の扱いについても取捨選択や取り扱う順序を教師の裁量に委ねます。この方法のデメリットは、いうまでもありませんが、それを使った学習の質が教師の力量によって大きく変わってしまうということです。


他方の極は、解説を徹底的に詳しくし、問題配列もその授業で学ぶべきものを精査して順番をつけておいて、並べられている順に問題を解いて行けば良いというところまで考えて作成するというものです。ちなみにこの種の作り方の教材のマニュアル(教師向け利用ガイド)もキッチリと作り込むのが通例です。こちらのメリットは教師が誰であっても指導内容のバラツキがほとんどなく、授業における学習の質が平準化されることです。デメリットは教師の個性を殺してしまい、決まった方法を強いること(個性の強い教師にはかなりのストレス源になります)と、制作にかなりの時間的、人的(したがって金銭的)なコストがかかることです。


これらは両極端で、実際の教材作りはこの両極の間のどこかで着地しているはずです。そういう意味では教科書はその辺りのバランス感覚が流石に絶妙だと思います。


教材コンテンツのデジタル化との関係では、それを使う教師の属人的な要因(デジタル技術に対する理解や利用状況)で大きく変わって来るという要素が加わります。なるべく直感的な操作で活用できるようなものはやはり提案しやすいですよね。