今日の目玉は、私が私淑している安西祐一郎先生の講演でした。先生とは個人的な繋がりを持たせていただいたこともありましたが、一般庶民の私には手の届かないお立場になられたためお付き合いを自粛してありました。

先生は、カーネギーメロン大学にご留学されてノーベル賞受賞者のサイモン教授の下で学ばれ、早いうちから問題解決に関する興味深い業績を出された方です。その後北海道大学の「文学部」教授や母校でいらっしゃる慶應義塾大学の理工学部教授から塾長(というのが正しいのかわかりませんが)をおつとめになったのち高大接続についての政府の政策策定のキーパーソンとして重責を果たして来られました。私ごときがご連絡をすることを憚った理由はそういうことです。

先生がブレずに提唱されている学びのあり方は、単なる知識の獲得ではなくて、それを生きて働く知識へと昇華させること(これは私の個人的な解釈ですがおそらく間違っていない)であるというものです。全くその通りです。クイズ番組でハイスコアを叩き出すとか色々なことを知っているというようなことは、極めて皮層的な知識像に基づくものです。林修さんや池上彰さんを凄いと思うことは私にはありません。もし彼らが本当に様々な知識を本当に知っていたとしたら、おそらく今のような活動はしていないと私は思います。大切なことは知識の多寡ではではありません。それらのどれくらいのものが生きて働く知識なのかが問題なのです。ましてや「わかりやすい」と言って彼らのいっていることを鵜呑みにすることは本当に馬鹿げていると思います。真の学びは、学んだ知識を自分なりに消化して自分のものとして様々な局面で実際に役立てることができるかにかかっていると言ってもいいでしょう。EdTechもそのような学びを支援するためのものであり、教育におけるDXの肝は、教員の方々の煩わしい校務を減らし児童・生徒に向き合うという核心的な営みに集中出来るように支援出来るか否かにあると思います。文科省からのトップダウンの政策の対応に追われ、必ずしも適切とはいえないDX化への対応のためにいっそう現場が疲弊するというのでは本末転倒だと思うのです。

長くなりましたがだからEdTech Sommelierが必要なのだという我田引水の結末になることをお許しください。これはあくまでも速報的に書いているものですので、後日修正いたします。