ああ、満天の星空の下、たった一人。この世界を独り占めだ。
北の空に目をやると、北極星を中心に、カシオペアは沈み、北斗七星は登っていく。
え?わからない?ではまた星座線を。黄色の円の中が北極星ね。
はじめて星を望遠鏡で見たのは小学生のころだった。今から考えると、おもちゃの
ような天体望遠鏡で月や土星をみた。その時の心の震えは、今でもはっきり覚えて
いる。それから、「より遥かかなたの銀河を、よりはっきり見るには、どうすれば良
いか」をいつも考えてきたような気がする。(不思議と天体写真を撮ろう、とは
あんまり考えず、「生の星々の光を見る」事ばかり考えてたね。)
だから望遠鏡はより高性能に、そして大型化していった。当時ほしくても手に入ら
ない望遠鏡は全部自作した。うまく行かない時は満足するまで作り直した。この
大型望遠鏡も、私がまだ20代のころの総力を挙げて作った、まさに「相棒」だ。
「星はいつも変わらないだろう?なんでそんなに何度も遠いところまで星を見に行
くの?」と友人にはよく言われる。まあ、たしかに、この望遠鏡だけで、
軽く100キロは超えるし、氷点下の冬山で一晩星を見るのは、かなりキツイ。
一人で星々と対面していると、なんだか気が遠くなり、一瞬自分の足元がわからなく
なることがあるのだけど、きっとそれがいいのだなあ。宇宙は、時間も空間も遥か
彼方の存在。広大無辺。言ってみれば「絶対座標軸」。こういう物に直面すると、
自分のようなちっぽけな存在は限りなく「無」の存在という事が知れる。
リセット・・・・と言ったらいいのか。「絶対座標軸」の前ではあらゆるしがらみが
畏敬の念とともに消えさってくれる気がするのだ。
(まあ、下山すると、すぐにしがらみだらけ、なんだけどね。)
それに、かつて、ある人工衛星の宇宙飛行士が地球を周回するとき、眼下に広がる
地球を眺めて何十億の人々の事を思い「ああ、これは神の視座だ。」と言ったの
だけど、望遠鏡の見口を覗くとき、やはり眼下に銀河を臨むこの気持ちはなんと表現
したらいいのだろう。数千万光年かなたの銀河、そこには数千億の太陽(恒星)が
あって、その周りにはかなりの高確率で地球のような惑星が回っている。生命に満ち
溢れていないわけがないのだ。そこにはどんな世界があるのだろう。もちろん人間
みたいなのもいるだろう。髭の生えた私のようなオヤジも向こうから望遠鏡でこちら
を覗いているかもしれない。そして、広い大宇宙には、そんな銀河が無数にあるのだ。
だから、どんな世界があっても不思議ではない。どんなことを考えても自由なのだ。
それこそ、リアル「異世界物」の世界だね。
ちっぽけな存在の、ちっぽけな頭蓋のなかで、この広大無辺の宇宙のなかを、想像力
というエンジンで飛び回る幸せ、まあ、人は変態オヤジの妄想と呼ぶだろうけど・・
やっぱり星見はやめられないよね。
とか、妄想にふけったせいか、夜明けが近いぞ。
とにかく、ちょっとでも寝る。2時間程度仮眠を取ったら・・・・・
なんと、昨夜は車が一台もなかった駐車場が満杯に!怖いよう。望遠鏡が珍しいのか、
(というか、望遠鏡とも認識されず、「巨大な栗焼き機ですか?」と聞いてきた人
もいた。)人が続々と集まってくる・・・・早く片そう。
撤退、撤退だ~。
ちなみに、この上の駐車場も。こちらは通路すら車の行列。
帰りに、ちょっと温泉へ。
僕しかいなかったので、宿の人に頼んで、写真撮らせてもらいました。なかなか
いい露天風呂でしたよ。ここで、昨夜の寒さを思い出しながら、じっくり暖まらせて
頂きました。ああ、ほぐれるなあ・・・・
で、
蕎麦屋さんを探して、と。ああ、花だらけのきれいな蕎麦屋さんめっけ。
手入れが本当に良く行き届いています。
で、美味しいお蕎麦を食べて、と。
帰路についたのでした。今回は、本当に久しぶりの本格星見でした。良かった良かった。