そう、今日から「ミーハー塾長」と呼んでくださって結構です。
本日、新しく柏にできた大型ショッピングモールへ行って、映画を
見てきてしまいました。
じゃ~ん、その映画とは・・・・・
前の席でふんぞり返って、○ー○片手に、ウルウルしながらアニメ鑑賞をして
いたオヤジの姿を、周りの方々はいったいどう見ていたんだろうか・・・・・
「今日、映画館で変な動物が映画見てた!」とでも言うのだろうなぁ。
内容は、よくある「男女体変換もの」 原型は平安時代の「とりかえばや物語」、
最近(といっても30年以上前だ)では大林宣彦監督の「転校生」だ。
だが、このアニメ映画は、もちろんそれだけではない。そこに空間越えと時間越え
のSF的要素(タイムトラベラーだね)、青春学園もの要素、無くなってしまったはず
の村を救う、という救世主的要素、そしてもちろん思春期の男女の恋愛感情、
いわゆる、「古今東西、ありとあらゆる当たり映画」の良いところを混ぜ合わせて
いるのだ。ふつう、こんなことをしてしまうと本編は大味になってしまうのだが、
そこは新海監督の緻密に作り上げたストーリが最後まで破たんすることなく、見
ているものをエンディングまで引っ張って行ってくれる。そして、この映画を感動的
にしている最大の要素は、作画の美しさだろう。これはもう、夢にも出て来そうな
「イデア的」美しさだ。たぶん、彼は、「美しいもの」を感動しながらたくさん見て来た
人間なんだろうなぁ。これは僕もそうなのでわかるのだ。だから、映像に「既視感」
がありまくり。ほんとに「懐かしい。あの日見た光景だ。」と思う事しきり。
ただ、新海監督は、僕のような凡人と違って、自分の見た美しい光景を切り取り、
その美しさのエッセンスをピュアに取り出して表現する事が出来るんだろうね。
最後の最後に、タイムトラベルの掟よろしく、二人の記憶が消失し離別してしまう。
しかし、「人間にはどうしようもない時間の理(ことわり)・運命」を、人の意識の力で
乗り越えて再会を果たすのだが・・・・(意識、心の力が「紐」として表現されて
いたのもなかなか秀逸な比喩である。)
たぶんここのところのが「カタルシス」を呼ぶのだろうなぁ。日ごろ運命に流されっぱ
なしだからね。でカタルシスを求めて、二度三度と映画館に足を運ぶことになったり
して、そのうち、おぢさん「入場拒否」されちゃうかもしれませんね。「また変な動物が
○ー○飲みながら映画見ている!保健所を呼べ!」とかね。運命にあらがえるのは
若いうちだけか・・・・