昔よく聴いていた音楽をふと耳にし、懐かしい思いに駆られることがある。

 

 特にその曲が青春時代に聴いていた曲だったりすると、甘酸っぱい気持ちが蘇ったりするものだ。

 ところが世の中には、一度でも耳にしたら最後、そのどんよりとした曲調と暗い歌詞が耳から離れず、ついには生きているのが嫌になってしまう…という恐ろしいものが存在する。

 

 欧米で「自殺者が出る曲」として有名な「暗い日曜日」である。

 この曲は1933年にハンガリーで発表されたもので、ヤーヴォル・ラースローが作詞者、作曲したのはシェレシュ・レジェーという男だった。ヨーロッパの音楽に詳しい業界関係者の話を聞こう。

「ハンガリー出身のレジェーは学生時代に演劇を学んだ後、音楽の道を志し、1930年代初期には単身パリに移り住んで、作曲家を目指しました。しかし、曲を作ってもなかなか評価されず、結局はハンガリーに戻った。食べるために首都ブダペストのレストランでピアノを弾いて生計を立てつつ、曲を作り続けました。意気消沈の日々を送る中、1932年12月に書いたのが、原題『Szomoru vasarnap』だったと言われています」

 ただ、最初に売り込みに行った出版社では「メロディーとリズムが暗すぎる」として断られ、なんとか次の会社で採用が決まり、翌1933年に発表されたというわけである。

「実はレジェーは曲と一緒に歌詞も書いていたのですが、出版社の意向でハンガリーの詩人で画家でもあるラースローの詞が使われることになった。当時、ラースローは婚約者を失い、失意のドン底にいました。そのため、出来上がった詞も、亡くなった恋人を思う失意の女性が暗い日曜日に自殺を決意する、という内容になったというわけです」(前出・音楽業界関係者)

 ところがこの曲が発売されるや、ブダペスト市内では自殺者が続出。

 

 このレコード盤を握りしめた少女が入水自殺したり、バーでジプシーバンドがこの曲を演奏中に、男2人がその場で拳銃自殺したり。

 

 さらにはバーにいた初老男性がこの曲をリクエストした後、店の外に歩き出して頭を銃で撃ち抜く、といった事件が発生。

 

 その数はブダペスト市内だけでも200人に及んだ。

 事態を重く見たブダペスト市警は、両者の因果関係は明確ではないものの、急遽、「暗い日曜日」の販売中止と演奏禁止に踏み切った。

 しかし、時すでに遅し。

 

 この曲が世界で発売されると、ドイツ・ベルリンでは、若い女性が足元にこのレコードを置いて首吊り自殺。

 

 イタリア・ローマでは、少年がこの曲を口ずさみながら川へ飛び込み、命を絶った。

 

 米ニューヨークでも、ガス自殺した女性の遺書に「葬式では『暗い日曜日』を流してください」とのリクエストがあったという。

 

 イギリスBBCでは、放送禁止曲に指定されることになった。

 ちなみに、この曲のヒット後、作曲者レジェーの恋人も自殺。あとを追うように、レジェー本人も自殺している。

 

 いったいこの曲の何が人々を死へと導くことになったのか。